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蒼の髪と銀の雨

PBW・シルバーレインのキャラクター、「巫名・芹(b40512)」のブログです。 後ろの人の代理人(A)との対話や、SS、RP日記などを書き連ねて行きます。最新記事は右側に。シリーズごとのssはカテゴリに。雑多なものはそれぞれカテゴリにちらばっています。                                                                                                       ―― 一人の努力で、なにものにも耐える礎を築けるだろう。しかし、誰かと共にあれば、その上に揺るがぬモノを建築できるのだ。…しかも楽しい――「音楽の先生」

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狂騒の終わり。静かなる森の始まり。

――杷紋のもとに"元仲間"が集い、大川と芹達が合流した頃。
 暗い森を歩く影が、ふたつ。
 いずれも髪は長く、芹とよく似た者が一人――そう、”陽炎”を用いて芹を追い詰めたあの少女――と、その保護者のような、髪の長い女性。
「終わったみたいです」
 ”セリ”が報告のように呟く。かつての戦場に背を向け、まるで母とそうするかのように女性と手をつなぎながら。
「そう。…楽しかった? 怪我をしないようにしてほしかったんだけど、結構あちこち動いてたみたいね」
 女性は子供にそうするかのように気遣う。この森で行われていた事が、まるで子供の遊びのような口調と、柔らかな声色で。
「はい。追いかけっこでも12人捕まえましたし、お母さんを探している人が6人もいて、あの男の人とは無関係に参加している人も結構いたみたいです」
 あの男の人、とは杷紋の事である。――今はまさに過去形であるが。
「18人か。頑張ったわね、えらいえらい」
 女性は言いつつ、セリの頭を撫でる。テストで良い点が取れた子供にそうするように、褒めてみせる。
「怪我したのは……あの子ね? ちゃんと殺した?」
 なおも優しい口調で、穏やかに尋ねる。
「いえ。生かしておいたほうが楽しいと思ったので、引き分けにしました」
 セリのその言葉に、女性はふふ、と笑い声を漏らす。
「そう…でも暫くは会えないから、残念ね。…次は殺しておいてね? あまり長引かせると、お母さん困るのよ」
 その言葉に、セリは頷く。なんてことの無いように。ただの母娘の会話のように。
「もちろんです。一回だけ、そういう事をやって遊んでみたかったので…次は必ず、です」
 ぎゅ、と強く手を握ったセリを見て、女性は柔らかに微笑み。

「ええ、おねがいね。芹」

 それから。
 どのように敵を殺したか、最後にどんな表情だったか。
 他愛の無い会話のように言葉を交わしながら。
 二人の影は静かになった森を出て、いずこかへ消えていった。





                                                狂騒の終わり。静かなる森の始まり。――終





あとがき的なもの

実に1年以上にわたって終了しなかったssですが、とりあえずこれで一区切り、という感じです。
「いい感じのアイデアが出ない時はさっさと切り上げる」という事で、ざっくりと文を削って別物にしてしまったものが結構あったりしますが、元から大したアイデアや文章ではないのでまあいいじゃないですか!(何
本音を言ってしまえば、いい加減話を進めないとまずかろうという事ですね。書きたい事もあるし。
ひどいダレ方だけども、まあ途中で立ち消えるよりは良いだろう、という感じです。話数的には当初の予定を大幅にオーバーしていますし。

まあとにかく、次からは別の話とか日常に近い部分を書こうかなとも思っています。
やりたい話もありますし、ネタ自体はまだ尽きないかと(笑)。

稚拙以外何者でもない文章ではありますが、お付き合いいただければ、幸いです。
それでは、またの機会に。

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終焉。響いた声と煙草と

そろそろ、か――」
 各所に配置した術者部隊――その多くが壊滅しているであろう事を思いつつ、一人の男が誰に言うでもなく呟いた。
「…どうやら、まだ殺してはいないようだ。…”鏡月”は甘いか…改良の余地ありだな」
 森の中、点々と聞こえていた戦闘音も今は静まり、静寂と風の音とに身を委ねる。
「まあいい。生きていようが死んでいようが、私には関係ない。狂人に付き合って、些細な事に気を取られる訳にもいかん」
 年齢は四十半ばほど。黒尽くめの衣服に、魔術師然としたコートを羽織る。
「来い――大川・葉子」
 誰に言うでもなく、男は呟いた。
 大川・葉子――
”天声”杷紋・誓慈(はもん・せいじ)にとって、その名はあまり心地よいものではなかった。
既に忘れ去られているであろう過去の出来事――方向性が違う事と、力量の絶対差を見せ付けられた、因縁の相手。
「…あの頃はまだ、この力も無かったな」
 だが、今はある。…人心を誘導し、信念を植えつける力が。
「この力に抗えるものなら、やってみるが良い」
――天声の力の前では、それを聞く者の意思・信念・誓いのような”つまらない”モノは全くの無力である上、魔力によって想軌を止めることも不可能である。…声が聞こえれば、天声は力を発揮するのだ。
 魔力の壁で音を遮断するのは困難な上、実行すれば音そのものが聞こえないという、極めて大きなハンデキャップを受ける事になる。
 その代わり、電話越しでは効果が無く、肉声を聞かせる必要があるという制限がある。…だが、今や関係の無いことだ。
「直接声を通せば、私の勝ちだ。…大川葉子!」
 いずれ来るであろうその人物に対し、いくらかの感情がない交ぜになったような声で呟く。
 だが、呟きであるかどうかは、もはや関係なかった。

「何一人でブツブツ言ってるんだい。相変わらず暗い奴だねぇ…」
 不意に後ろから聞こえる声。一体、いつからそこにいたのか。
 煙草を咥え、身を隠す素振りもなく、またどこかからか現れたような気配も見せず、いつのまにかそこにいた。距離にして、およそ10メートル…声も届けば魔術も届く距離に。
「貴様こそ、相も変わらず弛緩しきった時間を過ごしているようだな」
 驚きもせず、杷紋はゆるりと振り返る。
――その、記憶と何一つ変わらない、緊張感の無い佇まいに、懐かしさよりも殺意が先に立つ。
「馬鹿みたいに緊張しているよりは、余程過ごしやすいと思うけどね」
 言うと親指と人差し指で煙草をつまみ、ふぅと煙を吐き出す。
 近所の知人と世間話をするように、ひとかけらの警戒も、想軌の気配も無く。
「そんな事では長生きできんぞ。…今日がまさに、それを分ける日だ」
 一歩、二歩、杷紋は大川へ歩み始める。
――”言葉”を練りながら。
「あぁん?…アタシとやりあおうってのかい?」
 物騒な物言いとは裏腹に、大川はその素振りすら見せない。
―そういう女なのだ、こいつは。
 まさに、記憶と何一つ変わらない事を少しずつ確認する。そして、その事実が杷紋としては腹立たしかった。
 だが、その苛立ちも呼び起こされる殺意も、今はただ邪魔なものでしかない。―頭から排除する。
「そうではない。貴様に”緊張”があればこそ、解決しえた問題があるのだ」
 既に、想軌は発動している。気づいていたとしても、もう遅い。防ぐ手立てなど、存在しない。
 気づかれていても、防御しようとしても、無意味である。―たとえ、標的が”この女”でも。
「問題…? 頭の固い陰気男に声をかけられた事かい?」
 全くもって口の減らない女である。
 それにも構わず、杷紋は歩みを進め―およそ5歩ほど手前で足を止める。
「フン、好きに言え。……貴様、巫名・芹という娘を知っているだろう。俺が今日、捕えようとした娘だ」
 その名を聞いて、大川の視線が一瞬、杷紋を捉える。が、それだけだった。
―続けろ、という事か。
「……その娘の写身<うつしみ>が現れた。能力も酷似していて、こっちの人間もかなりやられている」
 大川は何も言わず、ゆっくりと煙草の味を愉しんでいる。
「簡単に言えば第三の勢力が現れたのだ。巫名・芹の写身という、極めてやっかいな代物を引き連れてな」
 それだけ言うと、杷紋は大川の応答を待つように口をつぐむ。
 一方の大川は、けほ、と一回だけ軽くむせ、持っていた煙草を携帯灰皿に突っ込みながら口を開く。
「……なんでそんな事をアタシに言うんだい? 第一、アタシかアンタがもう少し短気だったら、アンタはそんな事を言う暇も無かっただろうに」
 当然の質問である。例えがいかにも物騒ではあるが。
「”敵の敵は味方”というやつだ。写身を保有する連中は、いずれ俺にも手を出すだろうし、まして無縁の人間はより大きな被害を受けることになる。そして、それには貴様らも含まれるだろう」
 この場合の”無縁の人間”とは、いわゆる一般人の事である。
 大川は次の煙草を咥えると、苦笑しながら答えてやる。
「それで、アタシにもそいつをなんとかしろって事か…随分大きな賭けに出たもんだ」
 皮肉を込めて言い放つと、咥えた煙草に火をつけ、やがてふぅと煙を吐き出す。
「…まぁ、いいだろう。アンタを黙らせるのはそれからでもいい」
 やはりというべきか、相変わらず危険な女だ――と杷紋は記憶の印象を一つ一つ確認し、同時に天声の成立を感じる。
―具体的にわかりはしないが、失敗はありえない。そういう事である。
「口の減らない女だ。…まあいい。 その写身だが――今、巫名家の人間と行動を共にしている」
 大川の眉がぴくりと動く。が、それに構わず杷紋は言葉を続ける。
「名は、布都・ナズナ。写身は巫名・芹になりすまし、共に行動している事が斥候の報告で分かっている」
 無論、本来は逆である。”写身”たる存在の”鏡月”は既に、飼い主の元へ戻っているのだから。
 今現在、布都・ナズナと行動しているのは、紛れも無く本物の巫名・芹である。
―だからこそ、大川によって殺害させる事が大きな意味を持つのだ。
「…そりゃ…少しまずいねぇ」
 だが、考える間は一瞬。
「アンタにも癪だろうが、一緒に来てもらおうか。…あの子の写身だとしたら、おそらくアタシじゃ無理だ。ナズナもいるしね」
 協力などしたくないというのは、どうやら共通見解のようである。
 だが、天声の前では関係ない。
「構わん。ヤツを放っておけばいらぬ火種がいくつも生まれる。始末が終われば、次は貴様だ」
 そう杷紋が言うと、大川もまた、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。―考える事は同じなのだろう。
「今こちらに向かってきているが、打って出るぞ。…こっちだ」
 そう言って、大川の横をすり抜けて芹達が来るであろう方角へ歩き始めた瞬間。


 気づけば、向かおうとしていた森の小道が横倒しになっていた。
(何故だ)
 気づけば、重力とは無力な人間には酷く重いものである事を、身を持って知っていた。
(何故だ)
 気づけば、相手がやはり上手であると、無意識に刻まれていた。
(何故だ)

 仰向けに倒れ、右足を失った杷紋の、その無様な姿を見下ろしながら、大川は呟くように、そして心底見下すような口調で語りかける。
「何一つ変わってないねぇ…その、自分の力を過信するところとか、成功を前にしてはしゃいじまうところとか」
 横を向いていた杷紋の顔がゆっくりと上へ向けられ、大川の顔に焦点が合わさる。
「いっつも、アンタは考えが及ばないんだ。そして…いっつも、アタシに打ちのめされる」
 煙を吐き出し、そのまま煙草を咥えず、話を続ける。
「だがまあ、それもこれで最後さね。……アンタは、交渉に選ぶ材料を間違えた」
 杷紋は声を出そうとするが、出ない。喉がつぶれているでも、呼吸が出来ないわけでもないのに――
「アンタの声はもう聞きたくもない。…だから、黙ってもらったよ。どうやったかも、もうアンタには必要ない情報だ」
 ゆらり、と、煙草に魔力が集まる。想軌が、編まれてゆく。
「アタシはね、アンタみたいなヤツが大嫌いなんだ。自分が優れていると思っていて、それだけで勝てると思って、その癖プライドはご立派なヤツが」
 背を向ける。もう、姿も見たくないといわんばかりに。
「その実、何か支えが無ければ生きていけやしないんだ。でもそれも無いもんだから、孤独を気取りたがる。…どうしようもなく愚かで惨めな生き方」
 どんな屈辱に塗れているだろうか。宿敵とも思っていた相手に、いとも簡単に自由も声も力も奪われて。
 だが、そんな事は大川にとってどうでも良かった。相手が死ねば、どうでも。
「…そして相手が馬鹿なフリをしてりゃ、簡単に騙されてその様だ。全く救いようがないやね」
 声にならぬ殺気を背に感じながら、それすら構わず。
「――さ、死にな」
 まるで、ゴミ山に火を点けるかのように煙草を杷紋へ向かって放り投げる。想軌のかかった、煙草。
(――!)
 それが杷紋の身体に触れるなり、音もなく、静かな炎として。しかし、とても耐え難い激痛、苦痛、熱さ、冷たさ、それらをない交ぜにしたかのような、狂気の使者のように燃え上がる。
 だが、杷紋は声はおろか、指一つも動かせない。それどころか、その苦痛の全てを明確に認識し、まさしく傍目には分からぬ地獄を得る。
「――ああ、そうだ。アタシが、なんでアンタの想軌に引っかからなかったか教えてやろっか?」
 言うと大川は自身の耳に手をやり、そこからイヤホン状の何かを取り出すと、半身で杷紋に振り返る。
「補聴器、だよ。密閉できる特製のヤツさ。…アンタの声は、”直接”じゃなきゃ意味がない。何か機械を通せば防げるのさ」
 杷紋はそれを見て、信じ難い感覚を覚えていた。諦めとも、絶望ともつかない、奇妙なカンカク…
「…アンタの力はジーさんバーさんも殺せない。拡声器が使える分、政治家の演説の方がまだ優秀だよ」
 それだけ言い捨てると、大川は芹達の来るであろう方向へ歩き始める。
 もはや、杷紋などに興味はない。ただ転がって、苦痛に苛まれ、そして死ぬだけの、それだけの存在。
「…あの子の名前を出さなければ、もうちっとマシな死なせ方にしてやったんだけどね」
 そう呟くと、いつもの飄々とした様子で歩き続ける。
 新しい煙草を咥え、火を点しながら――



 時を同じくして、森の各所では杷紋の”天声”から解放された者達が、とりあえずはと、集合場所へ向かい始めていた。
――そこには、杷紋がいる。未だ息絶えずに。
 そして、解放された者達は天声によってどのような状況であったかを覚えている。…つまり、杷紋にとっての真の地獄とは、これからである事を、当の本人は知る由もなかった。

 同時に、”天声”の消滅は、長いようで短い一夜の、その終わりを意味していた――


灰色回想。夕暮れと地平線と旋律と

――色の無い世界。

――灰色ではなく、美しい緑ではなく。

――赤く。

――黒く。

――それは、夕暮れの彩り。


「それじゃあ、今日はこれまでにしようか」
 夕陽の中、全身に紅を浴びた様な世界の中。
 二人いる少女のうち、髪の短い、やや身長の高い少女が言った。
「大分上達してきたね。…びっくりしたよ。この分だと、ボクが負ける日も近いかもね」
 そこは、森の中。森に作られた、ふたりのための広場。
「…そんなことないです。ナズナさんに勝つなんてこと…」
 言葉をうけ、髪の長い少女が静かに答える。彼女もまた、夕陽に染まっていた。
 そんな長髪の少女の頭を軽く撫でて、短髪の少女が思いついたように言葉を口にする。
「ふふ……あ。そうだ。毎日修練を頑張っているから、おいしいものを持ってきてあげるよ」
 ちょっと待ってて、と続け、単髪の少女――ナズナが木々の合間の小道を駆けてゆく。
 その勢いに、長髪の少女は戸惑いながら頷くとその姿を見送り、自分は小さな切り株に腰掛ける。

――夕暮れに染め上げられた世界はどこか不気味で、しかし美しく。
 剣術の修練で高まった熱が、涼やかな風に冷やされてゆく感覚。

 その感覚と世界を楽しんでいると、ナズナが小さな箱を持って戻って来た。
 箱には小洒落た文体で何か書かれていて、その箱もまた夕陽に彩られていた。
「お待たせ。これ、最近知ったお菓子なんだけど」
 言いつつ長髪の少女の横に腰掛けると、箱を開けて中に入っているそれを取り出す。
「…?」
 物珍しげに見つめる長髪の少女にひとつ渡し、もう一つ、自分の分を取り出す。
「シュークリームっていうんだ。ふかふかでおいしいんだよ」
 ナズナはそう言うと、シュークリームを一口頬張る。
 それを見て、長髪の少女は右手で一口分をちぎりとると、口に含んだ。
「…クリームが入っているのですね」
 上のほうを取ったために肝心のクリームが殆ど口に入らなかったものの、生地の中を覗いた少女があらたにちぎりとりつつそう言う。
 ナズナも一口目を飲み込み、クリームをこぼさないようにね、と言ってから。
「そう。この生地とクリームが良くあってておいしいんだよ。…特に、このお店のはおいしいと思う」
――ああ、まるで普通の女の子みたいな話だなと、心の中で呟きながら。
「ん……おいしいです、ね」
 口元に少しクリームを付けたまま、長髪の少女が柔らかに微笑む。どうやら気に入ってくれたようだ。
「良かった。…これからも、たまに買って来てみるね。ここでふたりだけで食べるように、さ」
 ナズナは少女の口元をハンカチで拭いながら、同じく笑顔でそう言う。
 そして、こんな笑顔をもっと見たい、とも思いながら。

 不意に、世界が傾く。
 世界が歪み、何かが少女の胸を食い破り、夕陽に血飛沫が舞い、地面と少女の身体を染め上げる。
「――」
 ナズナが何事か呟くように言うが、もはや聞こえない。
「――!」
 少女が何か叫ぼうとするが、世界にその声は響かない。
 世界の全てが夕陽の逆光を浴びて黒く染まり、ただただ血液と生命だけが流れ出し失われる感覚。
「――!」
 聞こえない。
「―!」
 響かない。

 声は、響かない。
 響くのは、風と木々が奏でる旋律だけ。

 響かせるは、旋律だけ。聞き苦しい叫びなど、必要のない世界。

「――!」
聞こえない。

 そのうち、斜陽の光がまるで刃となり。

「――!」
聞こえない。

 音が消え、地面に身体を縫いつけ。

「――!」
彼女の声は、聞こえない。

 視界も。世界も。その光に侵蝕されてゆく。

 すべてを照らし、全てを暴き

 全てを融かし、染め上げ

 鼓動も、息吹も、全てが――



「――芹!」


「…どうだ?」
 芹の手当てをしているナズナに、錫那が後ろから声をかける。
「うん、多分大丈夫。意識を失う前に、回復術式を発動していたのかもしれない…傷から魔力が侵蝕しかけているから、なんともいえないけど…」
 芹の右腕には包帯が巻かれ、その上には治癒の魔力を込めた布が巻きつけられていた。
 芹はまだ、目を閉じたままだが。

 ナズナと錫那がここに到着した時、既に芹は意識を失っていた。
 複数箇所の裂傷、打撲傷、そして酷く損傷した右腕。いくつかの傷は塞がってはいたものの、魔力が浸透し蝕む術式が仕込まれていたのか、実際の負傷以上に消耗していたのである。
 手当てを開始した時は一刻の猶予もない状況であったが、手持ちの治療道具とナズナの手早い治療により、どうにか一命を取り留めたのである。

「…芹、芹!」
 ナズナが何度目かの声をかけ、覚醒を促す。命拾いしたとはいえ、目覚めなければ回復したとはとても言えない。
「――芹!」
 声を聞きつつ、錫那は周囲を警戒。――実際、既に2名ほどが襲撃してきて、今は拘束され転がっている。
「…芹…!」
 ナズナの声がやや震えているのが分かる。
 肩を軽く叩き、身体を揺すらぬように注意しながら刺激を与え呼びかける。
「……」
 やがて、芹がゆっくりと目を開き、ナズナの顔に焦点が合わされる。
 それを見て、ナズナがふっと息を吐き、安堵したように微笑みを浮かべる。
「芹…! よかった…」
 その様子を見て、錫那も口元を緩め、場の空気が僅か弛緩する。
「ここは……」
 ゆっくりと身体を起こし、芹が呟く。右腕は僅かな痺れが残っているものの、行動に問題は無いようだった。
「ボク達がここについた時、芹が倒れていて…とりあえず手当てはしておいたけど、何かあったら言ってね」
 芹が立ち上がるのを助けつつ、ナズナが簡単に説明する。詳細はこの際関係ないのだ。
「そうですか…ありがとうございます。…すみません、お手を煩わせてしまいました」
 装備を確認し、魔力を逆流して力を高めつつそう言う芹に、ナズナが軽く首を振りながら答える。
「気にしないで。…それより、急ごう。そろそろ、先生が相手の頭とやりあう頃だと思うし」
 言いつつ錫那を振り返ると、錫那は小さく頷き、行こう、と呟く。
「…はい。少しでも力になりたいですしね」
 それと、助けてくれた二人にもお礼を…行動そのものとシュークリームかな。と、芹は心の中で思いつつ。

 森の中を、三つの影が駆け抜けてゆく。
 元凶たる、”天声”を討たんと。

 静かで騒がしい森の騒動は、収束へと駆け始めた。

現時流。創られしものと導かれしもの。

――ナズナが錫那の「天声」を解除し、周囲の敵を掃討している頃。
芹は、想像だにしていなかった敵と交戦していた。


「…く…」
 先制され、背後から貫かれた胸が痛む。
 傷口そのものは既に治癒しているものの、打ち込まれた衝撃の痛みと、浸透した魔力――まして、それで突き飛ばされる程のもの――はそう簡単に退いてはくれないのだ。
「遅い…」
 前方から涼やかな声が響き、ぐらり、と陽炎のような何かが視界を横切ると同時に芹の身体が吹き飛ばされ、腹部に刀傷のような傷が刻みつけられる。
「ぁ…!」
 通常の兵器や魔術とは違うそれは”能力者”の能力ですらない、”想軌”によってのみ行使される類のものである事は明らかであった。
「…つまらないわね。もっと苦戦すると思ったのに。芹」
 体勢を立て直そうとする芹に再度陽炎の衝撃が走り、地面を低く弾みながらその身体が吹き飛ばされる。
「力ある者なんて呼ばれている割には大した事がない、と。とんだ期待はずれね」
 すぐさま起き上がる芹を見下ろしつつ、”彼女”は呟くように言い放つ。
―その身体は地上から3メートルほど、浮いていた。
「まだ未熟ですからね……それより…」
 芹は武器を構えなおし、自らの身体に魔力を逆流。それに”想軌”。魔力の吸収効率を高め、傷の治癒を早くする。
―心身ともに負担はかかるが、目前の敵を討ち果たすため、である。
「あなたは一体……く…!」
 再度陽炎が迫り、上半身を守るためかざした右腕を掠める。と、引きちぎられるような、引き裂かれるような痛みとともに血飛沫が舞い、陽炎そのものを赤く染める。
 それはまるで、血を浴びた不可視の蛇が空中を舞うようであった。
「わたし?さっきから聞いてくるわね、うるさいな…」
 ”彼女”はそう呟くと地面に降り立ち、右手は刀を持ったままで、左手を口元に軽く添えると、適切な返答を考える。
―その仕草は、まるで芹と同じだった。…多少、不機嫌さが滲んではいたが。
「そうね……これから巫名・芹になるもの。かしら」
 柔らかに微笑みながら芹にゆっくりと歩み寄る。
「…仰る意味が良く分かりませんが」
 治癒により右腕に光を纏いつつ、芹が返す。
「だから、これから貴方を殺して成り代わる者よ。見ればわかるでしょう?」

 そう付け足す”彼女”の髪は、蒼かった。
 その瞳も蒼く、繊細げな身体付き、柔らかなたたずまい、やや小柄な体格。
 その全てが、芹と全く同じであった。
 髪も、声も、仕草さえ。
 まるでそれは――

「…そうね。貴方のクローンとか、そんなところかしら。今時の言い方ならね」
 言いつつ陽炎を身に纏い、ふわりと笑ってみせる。
 何も知らぬものが見れば、たとえ友人であろうと別の存在だとは気づかぬであろう程にそっくりな姿。
「クローン…? どうして…」
 芹の目前、およそ5メートルほどまで歩み寄ると足を止め、答える。
「どうしてって。知らないわ、そんなの。私は創られて、貴方と同じになるようにされたモノ」
 どこかぼんやりと呟き、芹を優しい瞳で見つめ、続ける。
「力ある者、として生まれた貴方を量産するために作られたのが私。身も、心も、貴方と同じになるはずだった」
 さらりと放たれた現実。しかし、それはいかにおぞましい事だろうか。
 突如聞かされた言葉に、芹は一瞬、相手が敵である、ということを忘れてさえいた。
「同じ…?」
 有り得ない。
 同じ”身”を創るならまだしも、”心”は決して同じものは生まれない。なにより、それを行うという現実が信じられない。
「そう、同じ。でもそんなの不可能でしょ?現に私は同じにならなかった。能力すらも違った。でもいいわ」
 ゆらり、と陽炎が芹の周囲を取り囲む。
「貴方を八つ裂きにして殺せるのなら、この力で十分。全然違うのに似てなくちゃいけないなら、大本が消えればいいんだから」
「…!」
 さわ、と奇妙な律動を感じ、芹はすぐさま真上へ跳躍、さらに想軌を乗せた魔弾を放ち軌道を修正して離脱を試みる。
 芹が元いた場所では、まるで空気が互い違いを起こすかのように陽炎が踊り狂っていて、そこにあった木の葉や落ちていた枝、それと地面から一抱えほど掬われた程の土がばらばらと引き裂かれ、押し潰され、まるで大気のミキサーのようですらあった。
「…勘はいいのね。そこにいてくれたら、それは良い声を上げてくれたでしょうに」
 その言葉は無感情ですらなく、いかにも愉悦を逃したというような声色であり…そこに秘められた恍惚は、嗜虐趣味者のそれであった。
「少し前にも神経を使う方と勝負しましたので。…それと、残念ながら声は上げないつもりです」
 芹は緩やかに着地し、体勢を整え、一応は相手の声に応える。思考の殆どは、この未知の相手と攻撃への対策を打ち出す事に使われていた。
「そう、残念。それなら、手っ取り早く死んで」
 その言葉が終わる直前には、既に陽炎は芹目掛けてその軌道をうねらせていた。
――真っ直ぐではなく、どこか有機的な、曲線や螺旋軌道を描くのである。
「お断りします…!」
 芹がそう返すと、陽炎はより一層、殺意をあらわにしたかのようだった。

 拒否の言葉と同時に、普段のそれよりも強力な魔力を練り上げた魔弾を放ち、その反動を利用して回避運動を取る。
 だが、うねる陽炎のその中心。もう一人の”セリ”目掛け放たれた魔弾は直前で叩き落され、草むらを焼き払うのみであった。
「……やっぱり、貴方なんかより私の方が相応しいわね」
 呆れたように呟き、回避後様子を伺う芹の、その斜め後方から陽炎を食らいつかせるように仕掛ける。
――直撃すれば、そのまま脊椎を食いちぎってやる。
そう、憎しみと殺意をもって。
「――は…っ!?」
 背筋に強烈な殺意を感じ、芹は前方へ低く跳躍。後方で空気が唸りを上げる音を聞きながら、素早く状況を整理。問題無しと判断し、そのまま”セリ”との距離を詰めにかかる。
「……面倒ね。大人しく押し潰されれば良かったのに」
 小さく舌打ちをしながら地面に降り立つと、”セリ”は右手の刀に魔力を注ぎ込み、さらに”想軌”。そして、地面に陽炎を次々に打ち込むと魔力の力場を形成し、半径およそ10メートルほどの”結界”を作り出した。
「――!?」
 ”セリ”との距離およそ3メートル。周囲の空間がわずか揺らぎ始めた光景に、芹は思わず足を止める。
「気が利いているでしょう?これで誰にも邪魔はされないし、逃げる事もできない…近づけば――」
 ”セリ”はおもむろに石を拾うと、陽炎の結界へと投げつける。…石は奇妙な音を発しながら砕け、内側へと弾き返される。
―同時に、”セリ”は無邪気なような、あるいは邪悪に染まるような、いかにも愉快げな笑みを浮かべる。
「――お夕飯のハンバーグになるのも夢ではないわ」
 おそらく、それは誇張でも何でもない事実である。結界に触れるだけでも危険だし、巻き込まれたり叩き込まれるような事があれば、それこそ挽き潰されてしまうだろう。
「…残念ですが、私は和食が好きなので遠慮しておきます」
 芹がそう答えると、”セリ”は楽しくて、嬉しくてたまらないという様に声量を増し、こう言った。
「それはいいわね! 私は洋食が大好きなのよ!……和物の刃で切り刻んで、原型を止めないくらいに挽き潰してあげるわ!」

――それは狂気であり、あるいは殺意であり。何よりも、憎しみがにじみ出ていた。
 まるで傷から噴出す血液のように、その勢いは留まるところを知らず、一層勢いを増してゆくように。

 ”セリ”は明らかに興奮しているように見える――が、恐らくそれは正しくはないと、芹は感じていた。
なぜならば。
(どう来るか、ですね…)
 声も表情も平常には見えないのに、それでも”セリ”は無意味な突撃も、考え無しの魔術も放たれはしない。…確実な一撃を狙っていることは明白だった。
「どうしたの? 怖くなったとか言うんじゃないでしょうね…」
 ”セリ”は目を細め、右手で刀を緩く振るい、左手は何かを手繰るように指を動かす。
「怖くないと言えば嘘になりますが」
――恐怖を理由に立ち止まるくらいならば、いっそ死を受け入れる方が良い。
「――そんなもの、今更です」
 芹は言葉と同時に地面を蹴り、距離を詰めると同時に自身の足元へ向けて魔弾を叩きつける。
すると、地面で炸裂した魔力の炎が光の粒となり再集結、芹の後方で強烈な閃光を放つ。
「うあっ!?」
 強烈な閃光を網膜に焼き付けられるような閃光に、”セリ”の意識が一瞬薄れ、周囲の結界すら僅かに揺らいだ。
「はっ!」
 芹は短い気合と共に胴を凪ぐ一閃を放ち、さらに一歩踏み込む。
「申し訳ありませんが…」
 右掌を”セリ”の腹部へ叩きつけ、魔力を解放する。炸裂させ、さらに相手の体内に魔力を残存させる想軌を以て。
「――死ぬよりは殺せと、教わっていますので」
 大きな炸裂音と共に”セリ”の身体が浮き上がり、さらに直撃を受けた部位が発火、そのまま後方へと吹き飛ばされる。
「…まだ…!」
 恐らくは立ち上がる余力を残している上、結界も解かれてはいない。――最後まで徹底しなければならない相手であるようだった。
 それならばと、芹は追撃のために踏み込み、落下を始めた”セリ”の身体を切り払おうと雪割華を構える。
「これで……――!?」
 まさに振り抜こうとした刹那、芹は反射的に足を止め、右腕に魔力を集中。後方へと飛びのくことを意識しつつ、盾として右腕を翳した時。

 形容し難い衝撃音と、湿っぽい破砕音と、
 凄まじい激痛と、何かが焦げ、爆ぜる匂いが。

「――っ!!!」
 声も出なかった。
 同時にその衝撃で体勢を崩し右手を地面に着こうとした時、生理的にも嫌な音と激痛により、もはやそれは用を成さない事を理解する。
「惜しかったわね…」
 口元から血を流しながら”セリ”が呟く。仰向けに倒れたまま、心底憎たらしいように。
「もしそのまま来てくれれば、喉を掻っ切ってやったのに…」
 声を聞きながら芹は立ち上がり、自らの右腕を見やる。
―蒼色のローブは血に濡れそぼり、袖口からは真っ赤に染まった――染み出すようにすら見える――右手指が見え、また袖で見えないものの、腕はいくらか歪な形になっている事は容易に把握できた。
「……いいえ、十分です。こうして立ち上がれたのは…運が、良かった」
 これまでの被害と、ここに来ての右腕の被害と出血。本来であれば、既に行動できない段階である。
 焦点の合わない瞳で”セリ”は芹を見上げ、どこか愛しげにすら呟く。
「ああ……もうちょっとで殺せたのに…」
 その言葉と共に周囲の結界が徐々に弱まり、やがて消滅。

――勝敗が決した瞬間であった。

 とは言え、油断も余裕も出来ない状況である。
 出血量からして長くはもたないし、第一”セリ”はまだ戦える状況なのだ。
「……く…」
 一度は立ち上がったものの、みるみるうちに意識が歪み、景色がぼやけ滲んでゆく。
「…引き分けって、ところかしらね…?…ふ、ふふふ…」
 ”セリ”は追撃する素振りもなく呟くと、ゆっくりと立ち上がり芹に近づいてゆく。
構えを取ろうにもうまく動けない芹の頭を左右から掴むと、額を合わせ目を見ながら言葉を紡ぐ。
「次よ…今はあなたをいたぶる余裕もないから見逃して、そして見逃されておくけど…」
 そこで間をおき、ふっと優しい笑顔――恐らくは、芹を知る人間が知っている笑顔と同じ――で続きを口にする。
「次は、きっとあなたを殺してやる。死ぬよりも苦しく、食い散らかされるより惨めに、蹂躙される無力な魔術師以上に尊厳を奪い取って…必ず」
 そう言うと手を放し、そのまま踵を返し森の中へと消えてゆく。
「……」
 芹はただ、呆然とそれを見送るのみ。追撃を行う気力も体力も残ってはいなかったのだ。
「…あ」
 ふと気がつくと、うつ伏せに倒れ、ひんやりした土の感触と、自身から流れ出た血の温もり。そして身体と頭が芯から覚めていくような感覚。

 死というものを、まるで友人のように近くにまで感じ。

 それでも、魔力を循環させ傷の治癒を試みて。



 そして、それっきりだった。



過去時流。秘める想いと忍ばせる刃。


――巫名・芹が欧真・透を撃破する6分前。
三方向に分かれたうちの、二つ目の道筋。


 日も落ちた森の中、微かに差し始める月光の光にも照らされぬ黒い外套。
そしてやはり光を返さぬ長い黒髪をなびかせ、木々の隙間を巧みに走り抜ける姿があった。
「…ここまでまともな運動をするのも、なんだか久しぶりだな…」
 森の地面を踏み付け疾走しながら、布都・薺――ナズナは呟いた。
思えば、芹の監視兼情報収集という役についてからは外敵との交戦も無く、いわば”運動不足”であった。
「本当ならもっと別の運動のが健康には良いのかもしれないけれど…ボヤいても仕方ないね」
――例えば、芹とかけっことか。
 そんな他愛もない事を考えつつ、しかし周囲への警戒は怠らずに、敵の心臓部を目指してさらに加速する。
「そういえば公園…商店街のとこだっけ。アイスクリーム店があったな…」
 呟きながら、右手方向に感じた気配に向かって腕を振るい、まるで手品の様に銀色の短剣を投擲。直後に聞こえた呻き声を無視して思考を続ける。
「芹はアイスとか好きなのかな…あ、いや、今はまだ寒いかな…でも夏になると混むだろうし、そうすると待つのも大変だな…」
 ナズナにとって、人間を手にかけることは食品のパッケージを開けるより簡単な事である。変に食い込んでいる弁当だとか食肉の方が厄介で、それに比べると人間とはいとも簡単に”開いて”しまう。
「…死んでないよね?」
 今しがた短剣を投げつけた相手の事が一瞬気になったものの、殺意がないのだから命を落としたとすれば事故死だろう、と結論付けて数秒もしないうちにその存在を頭から押し流す。
「……芹が見たら、何て言うかな」
 物心つく前から殺人者――というより、ただ単純に人の生き死にを操作する技術、と言えば良いだろうか――としての訓練を受けてきたナズナにとって、そうでない人物が自分をどう思うかは予想も付かない事であり、同時に瑣末な問題と言える。
だが。
「…芹にだけは嫌われたくないな、本当に……シュークリーム…いや、駄目だろうな。”普通”は、ボクらみたいな考え方をしないんだから」
 呟き、不安に思う。自分が抱いている感情が普通ではない事は分かってはいるものの、それへの懸念を捨てることが出来ない。
「…まあ、ちょっと考えておこう。死なせない為にも」
 ともかく、いまこの場、戦場においては全く無意味で非生産的な思考である。…ナズナは無意識にそう感じ無理矢理に結論付け、。そして周囲への警戒を一層強める。
 何気なく口にした”ボクら”という言葉には、殺人者としてではなく、家族としての意味があったのだ。
「…姉さんも来てるね。…さすがにちょっと、やりづらいかな」
 そう呟くと、ナズナは足を止めて左へ身体を向ける。
 木々と草むらの向こう、差し込む光すらも身を隠す蓑としているかのように佇む影がひとつ。
「ちょっと、か。随分自信がついたみたいだな?」
 感情があるのか無いのかすら不明瞭な、凛とした、しかしやや起伏に乏しい声がナズナの耳に届く。
 同時に、ナズナの前後…姉と呼ばれた者と三角形になるような形で、別の者が茂みから現れる。
「そうでもないさ。…殺す気で行っても危うい人を、殺さずに倒さなきゃいけないからやりづらいっていう意味だよ」
 そう返すと、ナズナは投擲用とは違う、やや幅広な短剣を左手で逆手に。さらにもう一つ短剣を取り出すと、右手で順手に構える。
「…刺し違えるつもりでやりあっても勝てない相手。の間違いだろう?言葉は正確に使わなくては」
 ナズナの姉――布都・錫那――は冗談めかしたように返しながら革のジャケットから銀の短剣を取り出す。
 ナイフ、と形容しても可笑しくないほど小ぶりなそれは、簡素な作りながらその身に魔力を滾らせ、並みの魔剣霊剣とは比較にならない力を秘めている事をうかがわせる。
 戦闘体勢をとる錫那に合わせる様に周囲の二つの影もまた、各々の武器を取り出す。
 が。
「いや、いい。私一人で充分だ」
 錫那の声は言外に「邪魔だ」と言っているようにすら感じられるほどぶっきらぼうで、意外な提案とあいまって二つの影を黙らせてしまう。
「――分かった」
 それだけ呟くと、二つの影は武器を納めてしまう。どうやら、観戦を決め込むつもりのようだ。
「いいの?…あとで、加勢させておけば良かったなんて言い訳されたくないんだけど?」
 不敵に笑いつつナズナが言い放つ。勿論、武器を構え神経を集中したままで。
 それに対し、錫那はハ、と鼻で笑い、
「逆だ。数が多かったから負けただなんて言われたら癪だからな。言い訳できないようにという配慮だ。……お前の名誉への、な」
 負け惜しみなど、彼女らにとっては身内、ひいては自身を侮辱され貶められる事以上に不名誉で、あってはならない事なのだ。
 言葉が終わると同時に、ナズナが右腕を鋭く振り、その袖口から何かが飛び出す。
 攻撃というより、会戦の合図のような初撃であるそれを、錫那は右手の短剣で弾き飛ばし、同時に低く跳躍。月光に照らされた銀の刃が緩やかな弧を描き、ナズナの喉元へ引き寄せられるように振るわれる。
「…手荒いご挨拶だね!」
 金属が衝突し擦れる音と、魔法武器特有の共鳴音が辺りに響き、一瞬音が消えたかのような静けさが訪れ。
「それはこっちのセリフだ」
 そう言うと、錫那はかすかに微笑んで見せる。
――壮絶な姉妹喧嘩の始まりであった。



 布都・薺と布都・錫那。性格も扱う得物も似ているが、その得意とする交戦距離も酷似している。
 具体的には至近距離での組み討ちや、得物が軽量である事を生かした変幻的な連続攻撃。そして投擲用短剣を用いた牽制、である。
 技術的には暗殺術や奇襲技術を含めるものもあり、それに”想軌”による身体強化や武器の扱いが加わっている。
 酷似した交戦距離や戦法、技法。そして速度を生かした至近距離での連撃……それらが重なるからには、およそ魔術師同士とは思えないほどの戦闘風景となる。

 打ち合う事数合。両者の違いが見えてくる。
 僅かに距離を離しては高速で踏み込み、姿勢を打ち崩すように連撃を浴びせる錫那。
 それに対して、左手の短剣で受け流し、右手の短剣で打ち払い、そして僅かな隙に右手の短剣で反撃を行い、姿勢を崩される前に離脱させるナズナ。
 得物が一つ故に姿勢とバランスの制御、そして本命の一撃に集中しやすく攻撃に特化した錫那。
 得物が二つである故に回避・防御の確実性、それにより生じる僅かな隙への反撃に特化したナズナ。
「……守りで勝てる戦いがあるなら見てみたいものだ」
 それまでより大きく距離を離し、錫那は呼吸一つ乱さず皮肉を口にする。
「がむしゃらに打ち込んで勝てるのも羨ましいね。ボクには通じないみたいだけど、さ?」
 右手で短剣をくるくると弄びつつ、こちらも呼吸一つ乱さず皮肉で応酬する。
「通じない?通さないようにして動きを見たんだがな。気づかないのも無理は無いか」
 言葉が終わると同時に姿が掻き消えると、音も無く樹木を足蹴にしてナズナの頭上から頸部を狙って短剣を突き下ろす。
「ああ、そうだったんだ。見られてるとも思わなかったからさ、気づかなかった…よ!」
 言葉が終わる直前、左手を支点に身体を捻りつつ倒立、錫那の右肩に左足を叩きつけ勢いを削ぎ、右足でもって錫那の身体を巻き込むようにして地面に叩きつけようとする。
 が、それよりも早く錫那の左手が足を掴むと同時に腰を捻り、叩き付けられた足と肩を支点にしてナズナを振り回し、魔力で強化された筋力を持って地面に叩きつけ、さらに腹部に向け膝を使いランディングして見せた。

「…!っ…ぐ…」
 魔力…想軌によりもたらされる強化と、それによる破壊力は半端ではない。ナズナほど投擲術に優れてはいないものの、錫那のそれは近距離でのやりとりに特化しているのだ。
「甘い。甘いし子供だましだな。簡単なフェイントに全力で対抗するからそうなる。馬鹿だな。それ以外言いようがない」
 言葉を吐きつつ、反撃に振るわれたナズナの左手の短剣を銀の刃で打ち払い、懐から取り出した四角錐の細い短剣で掌を地面に縫いつけ、そのまま押さえ込む。
「……お前は相手がトロかったり、得物の上で有利であったり、奇襲する時くらいしか全力を発揮できないのにも関わらず、真っ向勝負に慣れていると思っている」
 言葉の途中で振るわれたナズナの右手を受け止め、地面に叩き伏せると、錫那は言葉を続けた。
「…其の上、今のお前には殺意が無い。それでは、場慣れしている相手に勝つことなど到底出来はしない。勝つというなら徹底的にしなければ」
 叩き伏せた右手に銀の刃を突き当て、そのまま肩口へ引ききる。
「……っ!」
 しゃ、と皮膚と硬質なものが擦れ、肉が裂ける微かな音がしたものの、悲鳴一つあがりはしない。
「…これくらい、だ。お前が私に勝つのなら、今された事を仕返して殺してやろうという意思が必要なんだ。もっとも、もう手遅れだが…」
 言いつつナズナの目を見るが、そこに殺意は、無い。
 状況を打破しようと考えを巡らせているのは確かだし、恐らくある程度策も浮かんでいる筈である。だが、敵を殺すという意思は欠片も見当たらない。
「……もういい。お前は随分鈍っているみたいだ。…残念だよ」
 血に濡れた銀の刃をその首に突き立てようとして、ふと錫那は手を止める。
「どうしたの?姉さん。そっちこそ鈍っちゃった?」
 ナズナにそうからかわれるほどに錫那は不可解そうな表情をしており、そしてまた夢が覚めるその時のような表情をしていた。
 錫那は自分の表情に気づく事も無く言葉を返す。
「勝者の余裕、というやつだ。…最後に聞いてみたくなってな」
 ナズナの首元に銀の刃を押し付けたまま、錫那は言葉を続けた。
「なぜ殺意がない?お前は私ほど熟練してはいなくても、殺す意気が必要な相手とそうでない相手くらい分かるだろう」
 それは、問いであった。
 そしてまた、ナズナが”戦闘以外で”目的としている事柄に、最も近づく事の出来る話題でもあった。
「どうしたのさ、急に。さっさと殺せば良いじゃない」
 ナズナは薄く微笑んですらいる。そんなナズナが理解できず、錫那は心の内で焦燥すら感じ始める。
「どうという事はない。ただ、まかりなりにも私と同じ道を学んだお前が、そうまで殺意を抱かない理由が気になっただけだ」
 言葉以上に気になっている事は明らかで、それこそナズナが望んだものであり、そしてまた――”天声”から解き放つチャンスでもあった。
「大した事はないよ。ただ…」
 そこで一旦言葉を止めると、ゆっくりと目を閉じ、開く。傷の痛みと出血によって、意識が揺らぎ始めていた。
「芹はきっと殺そうとはしないから、さ」
 その名を聞いた途端、錫那に明らかな動揺が走る。闇に生きる者らしくない、人間らしい反応であった。
「芹……巫名・芹、か。だがなぜそれが理由になる?」
 いぶかしげな錫那に、ナズナはくすりと笑って答える。
「理由ね。多分、姉さんにはわかんないよ。多分、芹自身にも。ボクにだって分からない。だけど」
 そこで言葉を切り、深呼吸。そして、言葉を続ける。恐らくは、決して届かないであろう想いを以て。

「芹が殺さないからボクも殺さない。芹が汚れないのだから、ボクだって汚れたくない。ボクは、芹に、近づきたいから。…そのためにできる事だから、ボクは殺さない。殺したって、芹に知られたくない。嫌われたくないし、だからといって、殺してないって嘘もつきたくない」
 錫那は、静かに聴いていた。自分達には不可解で無縁な何かを感じながら。
 そしてそれを感じていたからこそ、その言葉を止める気にはならなかった。
「つまり、ボクは…芹と同じでいたいから。一緒でいたいから、殺さない。いつか一緒にアイスを食べる時が来ても、隠し事をしているって思いたくないから、さ」
 どこまでも不器用で、的を射ない言葉と心。
 しかしそれは、十分な力を持っていた。…巫名・芹というものに興味を抱くという意味で。
「それは……」
 錫那は思わず言葉を失い、そして記憶のどこか、思考の片隅に引っかかるものを感じる。
「……お前がそうまで思う、殺人者としての意味さえ捨てるに足る巫名・芹は…」
「蒼き巫女」
 錫那の言葉が終わる前に、ナズナはその名前を示す。
「蒼き…巫女…?確かに、夢で見た巫名・芹は特徴が合致しているが…」
 散乱した思考を取りまとめようと、何かの”声”が働きかけるような感覚が襲うものの、錫那の思考は加速度的に混乱してゆく。
 密かににやりと笑みを浮かべつつ、ナズナはさらに言葉を重ねる。
「姉さん達が蒼き巫女なんて呼んでる相手は、巫名・芹。そして、姉さん達はそれを殺そうとしている。ボクはそれを止めようとしている」
 錫那は、情報を必死に整理しつつ、ナズナの言葉を受け止め続ける。
「でも、それには勿論理由がある。ひとつは、芹を死なせたくはないから。それと――」
 聞きたくない。聞いてはいけない気がしたが、錫那はそれを止めさせる事すら出来ないほど、思考が混乱し、ひび入り、痛みに似たものすら感じていた。

「嘘。だからだ。姉さん達の理想も、それにいたる手段も、巫名が世を害しているという事も。全部、嘘なんだよ」
「…何?」
 ナズナの言葉に、錫那は思わず呟く。
――そういえば、意識になにやら霞がかった部分が存在している気がする。
「姉さんなら大丈夫。…そこにいる人達はどうだか知らないけど…ね!」
 言葉が終わると同時に、身体のバネと根性を以て膝を跳ね上げ、錫那の腹部を思う様蹴り上げる。
「――っ!」
 かすかな呻き声を発しながら錫那が吹き飛び、蹴り上げた動作のままにナズナは素早く身を起こし、地面に縫い付けられた左手を勢いのまま引き抜き、懐に突っ込みながら叫んだ。
「だから今回の勝負はおあずけだよ!これで勝ったことにしてもいいけどねぇ!」
 そして懐から一枚の符を取り出すと同時に錫那に飛び掛り、体勢を立て直させぬまま、その頭頂部目掛けて掌底のように符を叩きつける。
「っ!?」
 相当に勢いが乗っていたせいか、錫那はそのままうずくまるような姿勢になり、地面に額を埋めたまま静かになる。
              はもん ・ せいじ
「……嘘を言った人間は杷紋・誓慈。天帝の声とも呼ばれる力を持つ男さ」
 ナズナは最後にそう言うと、控えている二つの影に目を向ける。
 二つの影――男達は、何が起こっているのかよく理解していない様子だったが、ナズナが錫那を説得していた事は分かったらしく。
「…ちっ。やられちまったわけじゃないでしょう?錫那さ…ん…」
 その言葉は徐々に小さくなり消えてしまい、二人の間に緊張が走る。
「…あぁ。随分痛い目は見たが、貴様らを倒すのに問題は無い」
 立ち上がった錫那が、二人の男に向けて強烈な殺気を放ちつつ立ち上がったのである。
「おはよう、姉さん。目覚めはどう?」
 両手共に血みどろのナズナが冗談めかしてそう言う。
 錫那はそんな妹を呆れた様子で一瞥、次にため息を吐くと、男からもひゅうと口笛のような音が聞こえた。
「ああ。最悪だ。…思い込みは怖いな?仕向けた連中を片端から叩き潰すしかない位に」
 その言葉に状況を把握、男達――いや、男は武器を取り出す。
「ちっ!こうなった…ら」
 殺ってしまうぞ、と言おうとしたものの、その相棒の首には銀色の刃が突き立ち、赤い血液とひゅうひゅうという口笛のような音を生み出していた。
「……ボクじゃないよ?」
「当たり前だ。お前は殺さないって言ったんだから、私が殺せばいいんだろ?」
 事も無げに言いながら右手を振る。と、二人目の男の胸と喉にも深く刃が突き刺さり、男はそのまま仰向けに倒れる。
「…ひどいやり方」
「即死させてやるんだよ。せめてもの慈悲さ」
 絶対嘘だ、と思いながら、ナズナは時間を確認する。
「8分。大分早く終わったかな」
 おおよそ10分程度でどうにかしようと思っていただけに、好成績である。
「阿呆が。私なら2分だ。あの二人は数に入れなくて良かったみたいだしな」
 男の身体からナイフを引き抜きつつ言う錫那に、ナズナは呆れたように言った。
「そりゃ、こっちは姉さんの目を覚まさせなきゃだからね…それが取れたら急ごう」
 言葉が終わると同時に、錫那はナイフの回収を終え、すぐさま走り出す。
「ちょ、ちょっと、どこ行くの!?こっちだよこっち!」
「…まずは周りの奴を黙らせに行く。杷紋と話をするのはそれからだ」
 相当頭にきているな、とナズナはため息をつきながら、治療用の符を取り出しつつ錫那の後を追う。

――いつか、芹とこんなふうに遊べたらいいな。

 そんな事をふと感じ、そのときには錫那も混ぜたら面白そうだ、と色々とたくらみ始めるナズナ。
 それはいずれ叶わぬものになるという、諦めさえ感じながら。

 そして錫那は、自分の意思を操っていた連中を血祭りに上げたあと、巫名・芹と話をしたいと思っていた。
「…あぁ。治療もか」
 そうそう、とナズナの事を思い出し、振り返ろうと思ったが……照れくさくなりむしろ速度を上げる。
「大丈夫だろう。ダメならダメで私がトドメを刺す」
 極めて物騒な事を呟き、そして次に現れる敵をどう始末するか考えながら。

 二人は、森の中へ消えて行った。


目覚め。再会と剣戟と。

 森。
 懐かしささえ感じた夕暮れの世界から帰還したことを、その音と色で認識する。
「起きたかい?」
 世界はまるでピントがぼけたかのように滲んでいたが、その声はしっかりとしたカタチをもって伝わる。
「……先生…?」
 地面に仰向けで横たわる自分を覗き込む人物に言葉を返し、芹はゆっくりと身を起こす。
「ああ、そうだよ。…久しぶりだねぇ」
 いつものとぼけたような眠たげな声で言うと、大川は芹の服についた枯葉や土を払い落としながら、そこにいるもう一人に声をかける。
「ナズナ。どんな感じだい?…連中ならあの程度で充分だとは思うけど、万一にでも突破されたら面倒な事になりそうだ」
”連中”に差し向けた傀儡符は充分な戦力ではあるが、それでも機転が利く人間に出し抜かれることはある為、ナズナに見張りを任せていたのだ。
「問題ありませんよ。…いくら数が多いからといっても、彼らは普通より強いという程度の使い手なのですから負ける道理がありませんし、そんな彼らにアレを抜ける名案が浮かぶ筈もないかと思いますよ」
 ここで二人が言う”彼ら”や”連中”とは勿論芹を狙ってきた所謂”過激派”の人間である。
 その数およそ30名。自らを”改革派”等と呼称する物もいるらしい。
「言うけどねぇ…アタシだって久方ぶりの実戦なんだから、過信は禁物だって事だよ」
 そういう大川本人も煙草を取り出し、口に咥え火を点すという余裕ぶりであった。
「…あの、ここは…」
 状況を飲み込めず、芹が大川に尋ねる。
「そうだねぇ…ちょい説明が面倒だけど、いいかい?」
 どちらかというと、単に説明そのものが面倒そうな言い草に、芹は少し恐縮しながらも首を縦に振った。
「…了解。そんじゃ、時間も無いから手短に行くよ」
 大川はそう言うと、現在の状況について話し始めた。

 説明されたことは本当に必要な部分のみだった。
 まず、現在敵対している相手の大まかな所在と人数、そして所属。巫名から別れ、”改革派”と名乗る者が存在したこと自体、芹にとっては大きな衝撃だったようだが、それを鎮圧せねばどんな暴走を始めるか分からないと知り、心を決めたようだった。

 即ち、共に戦う事を選んだのである。
 かつての恩師である大川と、かつての教育係にして…芹からすれば友人であるナズナと。…芹は大川が戦うとは思わなかったようだが、想軌の使い手である事を知り納得した。

 かくして、想像だにしなかった共同戦線が築かれる事となったのだ。

「…まあ、こんな所だ。多分アンタから見れば、普段相手にしている化け物の方が手ごわいくらいだろうけど、油断はしないように…いいね?」
 油断したところで不意を衝く事もできなければ、傷を負わせる事も出来ないだろうが。と思いつつ、大川は芹に忠告する。
「はい、大丈夫です。…いつでも、全力で臨んでいますので」
 その言葉に、大川はにかっと笑って立ち上がり、ナズナに向き直る。
「積もる話はあるだろうが、今はお預けだね。…何、2時間もすれば何の心配もなくなるさ」
 その軽口にナズナは苦笑を返すと、芹に顔を向けて、それから少し言葉を選んで口を開く。
「芹、えぇと……そうだね、なんていうのかな……気をつけて。死なないようにね」
 少し照れたように言うナズナに、芹は笑顔で答える。
「はい、ご心配なく。…ナズナさんも、どうかお気をつけて」
 言いたいことは沢山あるし、話したいこともある。…友達のこと、想軌の事、剣術の事、出会った沢山の人たちの事。
 けれど、今はそんな時間ではない。大川の言う事が真実ならば早く鎮めなければいけないし、そして大川は嘘をつかないからだ。
「…ありがとう」
 ナズナはそれだけ言うと、ポケットから何かを取り出して大川に渡す。
「……なんだいこれ?」
 手に持った”それ”を見ながら、大川が尋ねる。
「向こうには恐らく”天声”がいますから、その対策です。…というより、それは先生自身が必要だって言ったんじゃないですか」
 少し呆れたようにナズナが言った時、傀儡と改革派の交戦地からいくらかの光と音が放たれる。
「あんまりのんびりしてられないね…って、そういや頼んどいたっけね。忘れてたよ」
 からからと笑いながら”それ”を白衣のポケットに仕舞うと、大川は芹とナズナの顔を交互に見て、その成長を心に刻みながら口を開く。
「ま、芹は大丈夫だろうね。…そんじゃ、始めようかね?」
 その言葉に芹はカードを取り出し、ナズナは腰の短剣を手に取り、それぞれの戦支度を始める。
 大川は相変わらず煙草をふかしていた。
「何か妙な物を持ってるかもしれないから、充分に気をつけるように。……そんじゃ、各自散開。目標は、全対象の沈黙だ」

『了解です』

 芹とナズナの声が同時に発せられると、次の瞬間には交戦域目指して駆け出して行く。
「…さて、アタシはヤツを黙らせに行くかね。……あの声、耳障りだからねぇ?」
 先刻ナズナから受け取った物を取り出し、眺めながら呟く。
 その気配はもはや、鋭い追討者のものであった。

「アタシの生徒に手を出したツケ、きっちり払って貰おうかね」
 勿論トイチで。

 そうして大川もまた、交戦域とは少し外れた場所目指し駆け出して行く。


 日は沈み、逢魔時。
 偽りの思想を掲げる者達と、それを打ち砕く者達との戦い。
 日常には決して知られる事の無いそれが、遂に始まろうとしていた――



                                         「目覚め。再会と剣戟と。」終――

逢魔時。暗闇に響く声と声。

「今現在、5名の同志が奴らの穢れた術と刃を交えている」
 日も落ちた森の中で、およそ20名ほどの聴衆――いずれも戦支度を整えた術師か剣士のようないでたちの――を前に、演説のように声を上げる男が一人。
「それに増援として向かった同志もいる……遂に、奴らを叩き潰す為の戦いが始まったのだ」
 その男は黒いローブを身に纏い、肩ほどまでの髪も、瞳も、そのローブと同じように黒い輝きを宿していた。
「巫名の血塗られた系譜……そして、その犠牲になる人々を救済する為にも、我々は負けるわけにはいかない」
 その声を聞く者達の瞳は真剣で、男の言葉にあわせ士気が高まるのが見て取れる程であった。
「命を落とす事もあるだろう……だが、私と、そして我らが同志は決してその血を、命を無駄にはしない事を誓う」
 そして男自身もまた、自らの熱意を言葉に乗せ、その場の意識を一つに纏め上げる。
「では行こう……何としても”蒼き巫女”を捕らえ、その血を以て巫名に我らの意思を示すのだ!」
 その言葉に場の空気は沸き立ち、決意を新たにする者、”蒼き巫女”を血祭りに上げんと得物に魔力を灯す者、その他にも次々に言葉と想軌が灯り、森の中へ散って行く。
 その背中を見送りながら、男は一人、ほくそ笑んだ。

――愚か者共が、と。
 巫名は何一つ…少なくとも、現代においては何らおかしな事はしてはいない。むしろ、超常的な事象や存在・物品を管理し、或いは滅ぼす事に力を注ぐ行為は、”常識”を守る事に一役買っている。
 そして”蒼き巫女”等と呼ばれる者は存在しない。
”力ある者”にして後継者たる存在……巫名・芹を葬るために作り出した、言わば虚構の概念である。

 だが、彼らはそんな事にすら気づかない。…より正確には、”間違いない事”だと”信じ込んで”いるのだ。
「くく…いかな力が強くとも、俺の声を聞けば最後……唯の駒に成り果てるのだ」

”声”。
 ”天帝の声”と名付けられたそれは、その声を聞いた者に抗いようの無い情報・記憶を植えつける事が出来る想軌能力である。
 勿論偽であろうと無かろうとそれは術者の思うままに、そしてどのような魔術的防御も通用せず、肉声を聞かせれば手ごまと化する。
 唯一の問題があるとすれば、電話の通話や録音された”声”にこの効果は無く、術者が認識していない対象にも効果を及ぼすことは出来ないという事。
 そして、日数にして90日に一度は”声”を聞かせねば効力を失ってしまう事だった。
 だが、その程度は問題にもならないほど、この能力は強力で絶対的な物である。情報を与えさえすれば、それに都合の悪い記憶は表層の思考に現れなくなり、影響下に長くおけば勝手に記憶を捏造し始める。
 あとは、機が熟すのを待ち利用するのみなのだ。

 男は軽く俯き、重さを伴った呟きを発する。
「待っていろ…俺をこのような立場に追いやった事、必ずや後悔させる…そして…」
 そして木に立てかけられていた剣を手にし、続ける。
「血祭りに上げる…貴様の血統、その全てを眼前で引き裂き、絶望の底に叩き落してくれる…」
 先刻の演説とは打って変わって、地獄の底から這い出たかのような声音。
 だが、それを聞く者も、見る者もおらず、言葉は森に消えてゆく。
「大川…葉子…貴様も来ているのだろうな……ククッ、俺の声を聞いて這い蹲れ。犬よりも従順に、策士よりも役に立つ、最高の手駒にしてやる」
 どす黒い感情と共に言葉を吐き出し、男は駆け出した。

――30の駒と、いくつかの的がいる、小さな戦場へと。




                         「逢魔時。暗闇に響く声と声。」 終―――


接触。夕暮れと暗闇との境界線。

 森。
紅い夕暮れの世界からの帰還を、その色で認識する。
夕暮れの赤ではなく夜の青、斜陽の黒ではなく月の白。
「――は」
 短いソレは声ではなく、喉から漏れた呼気。
幻想にあった、”ナズナ”ではなく――
「スズ、起きたか」
 男の声。
そう、今は”ナズナ”ではなく、スズナ……”錫那”が、自分の名だった。
「ああ…起きることが出来たらしい。自分でも意外だ」
 淡々と返す声は、ナズナのそれよりも幾分か抑揚も無く、大人びていた。
それもその筈である。なぜなら――
「どうだった?妹の身体は?」
 黒地に白い紋章が描かれたコートを纏った男が、スズナの顔を覗き込みつつ尋ねた。
「妙な言い方をするな。……そうだな、小回りが利いたよ」
 答えつつスズナは身を起こし、幾度か頭を振り手を握り、”現実”へ帰還したことを確認する。
そこにあるのは、他ならぬ自分の身体…髪は短く切り揃えられ、身長も幾らか高くなっている。
あの”夢”の中では、自分はナズナ……妹の姿だったのだ。
「そりゃよかったじゃないか。その調子で、お前の性格も小回りが――」
「黙れ」
 軽口を叩く男の脛に拳を叩きつけると、スズナは立ち上がり、周囲を確認する。
夢から現実への急激な意識の移行に伴う軽い頭痛と眩暈を感じたものの、奥歯を噛締めて耐え、言葉を重ねる。
「……連中は、まだ来てないのか」
 言いつつ思うは、声の主……即ち、大川・葉子。
巫名・睦月と並び足取りの掴めぬ人物として有名で、そして――自分を導いてくれた人物でもあった。
「…お前少しは心配しろよ……ああ、まだ来てないみたいだ。つっても、もう10分もしないうちに接触があるだろうな。……しかしお前、もうちょっとおしとやかにだな」
 脛を押さえて座り込んだままの男が問いに答えた。半泣きで。
そして余計な一言を言い終わる前に、押さえている手もろともに脛を蹴り飛ばされた。

「……10分」
 早い。
今いる場所は、巫名・芹から2kmほど離れた森の中である。
距離そのものはさほど離れてはいないとは言え、この広大な森の中で自分達――”改革派”延べ30名――を見つけ出す事は容易ではない。
 もっとも、「あの」大川である。
悪魔的とさえ言える感性を持ち、さらには”想軌”の使い手なのだ。
「5分持てばいいが」
 スズナがそう呟いた時。
遠方から怒号といくらかの術式が展開する音が聞こえた。
「……来たみたいだなぁ。1分持ったか?」
 どうにか痛みを堪えて男が立ち上がり、声のした方を見つめつつ言う。
その声を聞き、スズナは男に振り返りもせず。
「貴方と同じだ」
 一言言うと、傍らに備えておいた銀色の短剣と革のジャケットを拾い上げ、手早く身に着ける。
言葉の意図を汲みかねた男もまた準備をしながら、スズナに問いかける。
「……俺と同じ?」
 長剣を右手に捧げ持つ男に振り返り、スズナは一言。

「どの程度持つか、アテにならない」

 それだけ言うと、スズナは戦場へと駆け出した。
なぜか気が逸っていた。
師・大川に会うためか。
妹・ナズナに会うためか。
それとも――本来命を奪う相手である、巫名・芹に何か感じ取ったのか。
わからない、わからないが。
「……行けば、わかる」
 そう呟くと、スズナはより加速する。
その視線の先には、魔力の衝突が断続的に煌いていた。

「……ひでえ言い方だぜ。何なら身体で教えてやろうか…?」
 何気に傷ついた男は、ぶつくさ呟きながら走っていた。
と、並走する者が一人増える。
「お…可愛い?」
 身長は150cm程度だろうか。
髪は長く、その肌はきめ細やかで白く、またその顔つきは凛としていて、儚さと鋭さを両立させたような存在。
月光とそれが落とす影によって細部までは見えないものの、まるでそれが”人形”のように美しいということはよく分かった。
「しかし…ウチにこんな子いたっけ?気づいてれば俺がほっとかないんだが…」
 男はなおも呟きつつ走り続け、”接触地点”へ向かう。
「…まあいいか。これさえうまくいけば、町の人々への無用な被害を減らせるんだし、余計な事考えてもしゃーねえ」
 そう呟き、男は並走する”少女”に顔を向け、口を開く。
「おい、嬢ちゃん。お前まだ若いんだから、無茶すんなよ?…無茶する前に是非その遺伝子を残す事を…」
 その言葉に少女は顔を向けるも、前半分を聞いたあたりで加速し、男を振り切る。
「…なんで俺の周りはこんな女ばっかなんだ?」
 呟き、男もまた速度を高める。
右手の長剣を握りなおし、あと少しのところまで迫った戦場を見据える。
「まあいいか。……余計な事考えてもしゃーねえってさっき言ったばかりだったな。これじゃいけねえ。何しろ…」
 そこで言葉を切り、軽く目を閉じ精神を集中する。
再び目を開くと、その眼光は狩人のそれに変わっていた。

「巫名の暴挙を止める好機なんだからな」



                            ――「接触。夕暮れと暗闇の境界線。」 終

夢現。夢幻の夕暮れ、夕暮れの幻。

――真っ赤に染まっていた。

 全ては、赤く、紅く。
燃えるように、染まっていた。

――真っ赤に、染まっていた。

 目に映るもの全てが、紅く、赤く。
鮮血のように、染まっていた。

――真っ赤に、染まって、いた。

 夕暮れのようで、夕暮れでなく。
血のようで、血でもなく。

「それ」に塗れていたのは………他でもない、自分だった。
「それ」に溺れていたのも………他でもない、自分だった。




 赤。
見渡す限り、真っ赤に染まっていた。
地面やそこに配置されたさまざまなもの以外にも、光も、風も、それら全てが赤かった。
「……これは…」
 そこに一人佇む少女は……芹。
孤独を恐れ、集団に怯え、今もまた、一人赤い世界に取り残されていた。
周囲を見回しても、ここがどこなのか判然としない。まるで赤い光に焼き尽くされているかのようであった。
「私は確か…」
 朝、目が覚めて、いつものように挨拶をし、食事をし、そして…
「森へ行って…それから…」
 屋敷付近の森――当然、安全が確認された範囲だが――へと散歩に向かい、それから―
記憶が、途切れていた。

「…何か、嫌な予感がしますね…」
 一人、呟く。
周囲にはいくつもの何かが立ち並んでいる。まるで森のように。
とすれば森なのかもしれないが…それならそれで、記憶に無い、分からないというのは妙な話である。

 そう、分からない。
途中で意識を失い、いつの間にかこうなっていたのか。
あるいは、意識を失わずはっきりと覚醒した状態でここに来たのか。
まったく判断がつかない。唯一つ分かっている事は…
「ただ事ではありませんね…」
 呟き、冬用コートの内ポケットからイグニッションカードを取り出して叫ぶ。
「イグニッション!」
 控えめだがよく通る声…それも、どこか不気味に赤い世界へ消えてゆく。
愛用の刀を片手に、改めて周囲を見回してみる。
 不測の事態が発生した時こそ、冷静にならなければならないのだ。
…芹は、それをよく理解していた。

 やがて、周囲にあるものは「木」であることは分かってきた。
だがその姿はどこか不気味で、赤黒い樹木にさらに夕日が差しているような、醜悪なものだった。
 さらに、地面に転がっていたり、あるいは配置されていると思しきそれらは、ただ黒い塊のように見え、やはり夕日に染まったような不気味な姿をしている。
「…特殊空間…にしては、引き込まれる感覚もありませんでしたが…」
 勿論例外というものもあるかもしれない。
だがそれ以上に、芹は今感じている”直感”に確かなものを感じていた。
―ゴーストではない、と。
 根拠などないが、逆に否定する要素もない。
ゴーストだとすれば、そろそろ仕掛けてきてもおかしくはないのだ。
「…けれど、誰が…?」
 芹が呟いたその時。
幾本もの樹木…そのうちの一つから、一つの影が現れた。

「やあ、芹」
 少女の声でありながら、やや低めの大人びた響き。
今は赤い光に染まってはいるが、黒い外套に長い黒髪。
 その声と姿には覚えがあった。
そう、芹がまだ巫名の家に居た頃、世話やいくらかの修練の相手になって貰っていた少女…ナズナだった。
「…っ…!?」
 芹は名を呼びそうになり、すんでのところで思いとどまる。
―家を出るまさにその日、別れ際にした約束。
”外では、布都・薺の名を口にしないこと”
それを、忘れてなどいなかったからだ。
 そんな芹を見てナズナはくすりと笑い、懐かしげに口を開く。
「ぷっ…はは……君は相変わらずだね、芹。……久しぶり」
 その言葉に、芹は僅かな違和感を覚える。
が、それよりも懐かしさの年が勝っていた。
「…はい、お久しぶりです、布都さん」
 今おかれている状況すら一瞬忘れ、いつものように微笑みつつ挨拶を返す。
思わぬ人物との再会…芹の思考は、そちらに引かれてしまっていた。
「ナズナ、でいいよ。…本当に相変わらずだなぁ…さすがに、背、伸びたね?」
 ナズナは芹に歩み寄り、その頭に手を伸ばし、冗談めかして笑う。
「当たり前です。……何年も経っているのですし」
 芹もつられて微笑みつつ、懐かしい記憶を乗せるように、そんな言葉を返した。
「そうだね…本当に久しぶりだから……ああ、そうそう」
 ナズナもまた時間を噛締めるように返し、用件を切り出した。

「今日はね…ある人からの伝言をあずかって来たんだよ」
 伝言。
伝言をよこしそうな人物がとっさに思い当たらず、芹はきょとん、とナズナの顔を見る。
「伝言、ですか?」
 そういえばイグニッションしたままだったと思いながらも、実際何が起こるか分からない状況で解除しようとは思わなかった。
――何かあって、足を引っ張るのも嫌だったのだ。
「そう、伝言…いいかい?」
 ナズナの言葉に、芹は無言で頷く。
母・睦月からの伝言だろうか、それとも大川からの冗談交じりの挨拶だろうか?
そんなことを考えている芹に、ナズナは薄く微笑みつつ”伝言”を伝えた。

「消えろ、ってさ。邪魔なんだって」

 何を言ったのか、分からなかった。
それくらい自然で、それくらい当たり前のように言い放たれた言葉。
芹が驚きと共に表情を凍らせるのを見て、ナズナはもう一度言う。
「だから、消えろってさ。邪魔なんだってさ、君の事が。いなくなれってコト…分かる?」
 今度は分かった。
つまり、消えろ。とは。
まるで全身の血液が冷え込むかのような感覚と、言い知れない不安感、恐怖が芹の中にじわりと湧き出して来ていた。
「ちょっ、そんなに驚かなくてもいいでしょ?…簡単な事じゃないか。消えろ、だってさ?」
 そんな芹に、ナズナは可笑しそうに言う。
まるで、おつかいの伝言に来たかのように、言い放つ。
「…れ…?…あ…」
 芹は言葉を返そうとするが、掠れたような声しか出ず、小さく深呼吸して心と呼吸を整える。
「だってほら、消えとってことはさ……ん?なに?」
 ナズナはなおも笑顔のまま、芹の言葉を聞こうと口をつぐんだ。
その笑顔にはどのような真意があるのか…芹には、分からなかった。
「あの……誰が…言っていたのですか……?」
 責める意味ではない。
そこまで不快に思わせていたなら、謝罪しなければならないと思ったからだ。
 その言葉にナズナは、ふむ、と一瞬考えて…そして、にこりと笑ってこう言った。

「勿論…君が友達だと思っている人、気にかけている人全てからの伝言さ。みんな同じこと言ってたんだよ?邪魔だから消えて欲しいって。今風に言うとウザいっていうヤツなのかな?…でも良かったね?みんなが君をどんな風に思っているか分かったじゃない♪」

 その言葉は、弾んでいた。
まるで今夜のおかずが好みの献立だったかのような、楽しそうな報告。
 そして今度こそ、その言葉は芹の心を揺さぶった。
…聞き逃せるほど短くは無く、また……心のどこかで恐怖していた事だったからだろうか。
しかしそれだけでは説明がつかないほど、ナズナの言葉は深く――そう、不自然なまでに――芹の心を抉っていた。

「………」
 言葉が、出ない。
もはや、何を言うべきかも分からなくなってしまっていて、泣けばいいのか、怒ればいいのか、あるいは左手の刃をもって、自らの喉笛を捌くべきなのか…その全てが心に浮かび、ごちゃまぜになって消えて行く。
 それでも、ようやく一言…言葉を紡ぎだす。
「……それは……ナズナさんも…ですか…?」
 呼吸すら止まってしまいそうな声音の芹に、ナズナは…欠片も迷わず、即答した。
「当然じゃないか!」
 大声。と、凄絶なまでの笑顔。
言葉と同時に、ナズナの右手が影も残さぬほどに鋭く動き、芹の身体を袈裟懸けに切り裂いていた。

「………?」
 突然の事に回避行動も取れず、斬撃の勢いをそのままに芹の身体が大きく後方へと揺れる。
尻餅を付く形になった芹の目の前に、ナズナは血に濡れた短剣を突きつけ、言い放つ。
「だってボクが伝えに来たんだよ!?ボクが君に消えて欲しいって思ってなければ伝えになんか来ないよ!もういい加減にしてよ!…そうやって君は優等生ぶっちゃってさ、本当に腹が立つんだよ君は本当に本当に本当に本当に!」
 心の底から苛立たしげに、まるで心の膿を吐き捨てるかのようにナズナは言い放ち、左手で芹の側頭部を掴む。
「痛っ…!」
 その乱暴な動作に頭を揺さぶられるその痛みで、幾分か現状を把握する冷静さを取り戻す。
が、全てを把握する前に、ナズナは芹の首元目掛けて短剣を突き出した。
「……っ!」

 世界が下に向かって流れ、鮮血が舞った。
焼けるような痛みと、鋭い熱が肩口に奔る。
そのままであれば首を深く抉られ、確実に命を落としていたであろうその一撃を、芹はナズナの左手に抵抗せず、力を流す事で両者のバランスを崩し、回避することに成功していた。
 だが、状況は芳しくない。
ナズナは芹の肩口を切り裂いた勢いそのままに短剣を地面へ突き刺し、それを支点に跳躍。
芹の上を飛び越え、おおよそ6mほど離れた位置へ着地した。
「どうして避けるのさ……君のためでもあるのに」
 心底腹立たしげに、そしてどこまでも冷たくナズナは言い放つ。
その言葉に再度心を揺さぶられながらも、芹は左肩に手を当てつつ立ち上がる。
「…死にたい訳では、ありませんので」
 どれだけ邪険にされようと、どれだけ疎まれようと、芹は命をむざむざ捨てる気は無かった。

――役立たずならば、役に立てる日まで走り続ければ良い。
 邪魔だと言われるならば、姿を消せばいい。
自分がこれまでに受け取った恩や愛情…様々な力の類。
それらに何の恩も返さず、ただ自分の逃避の為に命を捨てることだけはなんとしても避けなければならないのだ、と。
芹はそう思っていたからだ。

「………なんでさ」
 ナズナがより一層憎しみを増したように呟いた。
「なんでさ…なんで、”自分は生きようと”するの?」
 どこか奇妙な響き。
そう…まるで、芹が”何かした”かのような。
「…どういう、意味ですか?」
 右手で小さく術式を描き、そのエネルギーを逆流。
肩の傷を癒し、痛みを誤魔化しつつ芹が問いかけた。

「どうって………こういう意味だけど」

 そうナズナが呟いた直後、芹の足元から、まるで世界が書き換わるかのように姿を変えてゆく。
それはまるで、それまで覆いがかかっていたかのように滑らかに、鮮やかに、そして残酷に置き換えられてゆく。

――真っ赤に染まっていた。

 全ては、赤く、紅く。
燃えるように、染まっていた。

――真っ赤に、染まっていた。

 目に映るもの全てが、紅く、赤く。
鮮血のように、染まっていた。

――真っ赤に、染まって、いた。

 夕暮れのようで、夕暮れでなく。
血のようで、血でもなく。

 世界が、牙を剥いた。

「…!!」
 それは、これまで幾度も見た光景だった。
いつも忘れていた夢の正体。いつも見ずに終わっていた夢の末路。
「覚えてないんでしょ?でもボクには分かるんだよ…君がそうやって、怖いものから目を背けてきた事が」
 そこに横たわるは、恩師、肉親、友人……全てが、あの夢と同じだった。
「…こ、れは…」
 何。という言葉が出てこない。
というより、自分はこれをよく知っているような気がしてならないのだ。
 赤い世界、黒々とした地面、転がっていたり配置されたモノ達…
「君がやったんだよ?…全部、ね」
 呆然とする芹に、ナズナはなおも楽しげに続ける。
「君は一人を怖がっていたけど、集団でいることにすら怯えた。…だから、”一人じゃなくて集団でもない”環境を作ったんだよ」
 その言葉に、芹は首を横に振ることも出来ない。
なぜか…とても正しい気がしたし、今はもっと深い、別の事を考えていたのだ。

―知っている。

「だけどこれじゃあ……君の事をスキでいてくれた人たちも酷い事になっちゃってるじゃないか。…嫌われて当然だよね」
 まるで積み木を壊した子供に呆れるような口調でナズナが呟き、短剣を構える。
その表情はもはや憎しみの色は無く、ただ薄っぺらな笑みを貼り付けていた。
「でも大丈夫……すぐ、楽になるよ。何も悩まなくて、何も考えなくていい……君は本当に、君のなりたいカタチになれるんだ」
 その言葉に、芹の耳がぴくりと動いた。
どこかで…そう、遠いどこかで聞いたような。
「…悩まない…考えない…」
 呟き。
魂が抜けたようで、しかし確実に意思のある呟き。
「そう…君がそうやって悩むふりをすることで、周りの人たちは君を気にかけてきたんだ。そして君はそれに甘えていた…だけど、それももうおしまい。殺しちゃったんだしね」
 ナズナはおどけたように呟き…そして、身構えた。
無抵抗な相手の命を奪うのは、心構えさえあれば1分とかからないのだ。
「……簡単、に…?」
 簡単に、ごく簡単に。
そう呟き、改めて周囲を見回してみる。

 亡骸、血溜り、濡れた地面、濡れた樹木、折れた枝が引っかかっている低木。
どこか薄っぺらな森の景色に、紅の霧。
どこか懐かしく、どこか恐ろしいその景色。
 頭の片隅に引っかかる感覚。
それに捕らわれている芹にナズナが踊りかかるその瞬間。
不意に、声が響いた。

――…お疲れさん。今日はなんだか、涼しい曲だったね。

 公園。

 キィン…と、金属同士が衝突する音が長く鋭く響き、ナズナの表情は一瞬にして驚愕のものへと変わっていた。
「……な…?」
 抵抗されるとは夢にも思わなかった、という表情。
胸元を狙った横薙ぎの一撃は刀の背でもって受け流され、勢いもあってかお互いの前髪が触れそうな距離で力は拮抗する。
「そんな……ボクはきちんとやったのに…!」
 苛立たしげなナズナの表情は先ほどまでと違い、まるで別人のようであった。
そんなナズナに、芹は意思を取り戻した視線を突き刺すように見据える。
「何がどうなってこうなっているのか分かりませんが……もう、同じ手にはかかりませんよ」
 自分でも微妙に良く分からないことを言いつつ、そのままナズナを突き飛ばすように短剣を弾き、飛び退って距離を取る。
イグニッションしていることもあってか、力も身のこなしも芹の方が数段上であるらしく、同じように飛び退いたナズナはややバランスを崩しての着地となった。
「っく…!」
 どうにか体勢を整え、ナズナは改めて芹を見る。
その姿は力強く、先程までとは全くの別人にすら感じられた。

 狼狽するナズナに、芹は静かに…そう、いつものように問いかける。
「如何しますか?…貴方は、布都さんではないのですよね?」
 呼び名が戻る。
それはつまり、三人称としての呼び方。この場にいない人物への呼び方。
目の前にいる「それ」が誰かは分からないが、ナズナでないことだけは確かなのだ。
ならば。
「もっとも、今そう主張したところで信じるつもりはありませんが…穏便に済むならばそれが一番ですから」
 最後通告。
この状況でそのような事を言うのも相当であるが、逆を言えばこれで最後という事になる。
―戦うことを選択すれば、容赦はしない―そんな意思が、ナズナにもはっきりと伝わる。

「………!」
 その言葉と”幻夢”が伝えてくる意思に、ナズナの姿をしたそれはきりりと歯を鳴らした。
ふざけるなと、虚を衝かれ弱っていた想軌の炎が心の内に燃え上がる。
 確かに、”あの”布都・薺に比べれば、自分など取るに足らない存在であるし、恐らくは今目の前にいる巫名・芹にも敵うまい。
どう見ても勝機は薄い。だが、それ以上に。
「ここまで来て、貴方を無事に帰すとでも?」
 プライドが許さなかった。
布都・薺に届かぬ身でこのような役目――戦闘行動を挟まないとされた為だ――を任され、そして今、狩る相手だった筈の小娘に、暗に投降せよと告げられているという状況。
 許せなかった。
これ以上劣り、貶められるなど。
 許すわけには、いかなかった。
だから。
「何も言わずに斬りかかって来ていれば無事に済んだものを…五体満足では帰しませんわ」
 命と引き換えにでも、力ある者の身体を喪わせてみせるという、歪んだ決意。
その身の周囲に魔力が集積してゆくのが、芹の目にもはっきりと確認できた。

 正直な話、不可思議なまでの確信があった。
決して負けないという、その確信。
「…分かりました」
 相手の決意に、応戦の意を持って応える。
何か逼迫したものを感じるその雰囲気に、芹はどことなく共感を覚えていた。

―自身の内で膨らんだ”何か”に追われているかのような気配。
勘というには確かなもので、実感というには曖昧な感覚。
 いわば読心に近いような奇妙な感覚。
その感覚に、相手への攻撃を僅か躊躇う。

「考え事をしている余裕が?」
 その言葉とほぼ同時にナズナが踏み込み、芹の首元を狙って短剣が振るわれる。
相手がただの人間であれば、確実に動脈を切り裂くか、あるいは首を飛ばせるはずの一撃であったが、芹は身を屈め、最低限の動きで回避し。
「余り無いようですね…」
 問いかけに答えつつ、”想軌”。
右掌に炎が宿り、衝撃で爆ぜるイメージを描きながら懐へ一歩踏み込み、相手の腹部へ掌底を叩き込む。
瞬間、掌と腹の触れた部分から熱と衝撃、そして炎が生じて、ナズナの身体をおおよそ身長と同じだけ宙へ浮かせる。
「……っぐ」
 想像以上の破壊力。
世界が何重にもぼやけ、華奢な手から伝わる衝撃で内臓が悲鳴を上げる。
取り落としそうになった短剣を握りなおし、狂った平衡感覚の中でどうにか体勢を整え着地する。
「甘く見ていた…本家の直系とはいえ、生ぬるい俗世で生きていたと」
 嘔吐感を押さえ込むように腹を押さえつつ、ナズナが口にする。
その身の周囲に、いくらかの紙屑のような物が火の粉を散らしつつはらはらと舞い踊る。
「それがとんだ思い違い…なぜさきの一合で気づけなかったのか」
 周囲で焼け落ちる守護の符を眺め、ナズナは呟く。
並みの術ならば一枚で数回は防ぎきる符を、たったの一撃で六枚も打ち破り、そして使い手にまで充分な打撃を加えるとは思いもしなかったのだ。
「……」
 そんなナズナを、芹はただ静かに見据える。どうやら、まだ来るつもりらしい。
芹は、この相手を殺したくはなかった。
殺したくはないが。
「逃がさないといったところかしら…随分ふざけた子」
 ナズナは呟くと、ひゅんと風を切り、短剣を構え直す。

―その、相手を逃がさずかつ殺さない方法は何かと考える、甘ったれた考えが。

「…気に入らないわね」
 言葉と同時に左手を振るい、袖の下に隠してあった短剣を放つ。
と同時に身をかがめ、想軌。
自分の身体に影が落ちる様をイメージし、夕暮れのような風景に溶け込んでゆく。
「…!」
 キィン、と涼やかな音と共に短剣を弾き飛ばした芹は、視界にありながら見えていない存在に気づき、返す刃で斬り伏せようとする。
――反撃すればその勢いで…殺してしまうかもしれない。
そう直感し咄嗟に飛び退るも、既にナズナは、ただ真っ直ぐに刃を突き出していた。
「逃がさない!”あちら”に戻っても癒えぬ傷を刻んでやる!」
 まるで恨みを晴らすかのような高らかな叫び。
直後に、芹の胸元へ切っ先が突き立てられ、全身の伸びやかな動きはその刀身をさらに埋もれさせてゆく。
「…か…っ」
 衝撃と施された術式による激痛に、芹は喉から空気が漏れるような声を発し、表情を歪める。
自身の得物がその肉に半分ほど埋もれるのを見て、手ごたえを感じて、ナズナは宣言する。
「下ッ!このまま引きずり下ろして……殺す!」
 一瞬緩やかに感じられた時間の中で、ナズナは芹に突き刺した短剣を、そのまま腹を捌くように引き下ろした。

 夕暮れ空に鮮血が舞う。
芹の身体は跳躍と刺突の勢いに押され、いくらか宙に浮いた後腰から地面に落ち、そのまま動かなくなる。

 夕暮れ空に鮮血が舞う。
ナズナの身体はまるで足を取られたように前に傾き、引き下ろした短剣は手から抜けて地面へ突き立つ。

「な…?」
 ナズナは唖然として、自分の足元にある”それ”に目をやる。
それは巫名・芹の友人でも恩師でも親類でもなく……夕暮れの赤い光に照らされ、いささか不気味なぞ存在感を持つ。

 タイヤ、だった。

 公園にありがちな、半ばほどが地面に埋もれたタイヤ…それを視界に認めた直後、ナズナは派手に転倒し、呟く。
「何でこんなものがこんなところに…」
 怒りを通り越して呆れつつ、ナズナは身体を起こし、芹の方を見やる。
胸元から血が流れてはいるが、それだけであった。
「…気を失ってるのか」
 立ち上がり、短剣を拾い上げナズナが呟く。
―今なら、抵抗を許すことなく仕留められる。
そう確信し、芹へと一歩ずつ近づいて行く。
だが。
「…やっぱり、違いました」
 ゆっくりと身体を起こしながら、芹が呟く。
膝をついて、もう一度。違いました、と呟いた。
 ナズナは、何故かその呟きを邪魔してはいけないような気がして足を止め、聞く姿勢に入る。
「やっぱり…私の大切な人たちではありませんでした」
 その視線の先には、地面に転がり、或いは埋もれたいくらかの遊具や、それらが壊れたもの。
それを眺め、芹は自分の身体を抱くように腕を組む。
「…私は……ころしてなんか…いなかったんですね」
 それは、確認だった。
自分へ、そしてここにはいない友人や親類への。
 ふとナズナが我に返り、芹の元まで歩き始める。
「…そうだね。…でも、そんな事いいじゃない、どっちだって」
 膝を突いたままの芹の傍まで歩み寄り、短剣を逆手に持ち替える。
「そんなの無関係に、君はここで死ぬんだから」
 そう呟き、自身の胸元付近まで短剣を持ち上げる。
狙うはその白い首元。…何故か、苦しませず一息に死なせてあげたいと思ったのだ。
 それを振り下ろすその直前、芹が呟く。

「よかった…」

 心からの安堵、だった。
恩師を、友人を、親を、親類を。
その手で殺めてはいなかったという、その安堵。
 その気配に、ナズナは一瞬戸惑ったが。
「……さよなら…!」
 短剣を振り下ろす。
直後。

「目を覚ますんだ!早く!起きろ起きろ!」
 不意に、頭上から声が響いた。
全く気配も感じなかったそれに、ナズナは後方へと飛び退り、周囲を伺う。
が、何も妙なものは見当たらない。ただ、夕暮れの公園と森があるだけだ。
 一方で芹は、唐突に響いた聞き覚えのある声に驚き、感傷もそこそこに辺りを見回す。
「あンたそんなにねぼすけだったンかい?…ったく、ンなとこで寝てると風邪引くよ!」
 再び響く声。
それは芹にとって、そしてナズナの姿をした者にとっても、聞き間違えようの無い、独特な雰囲気を持つ声だった。
「…先生」
「大川…葉子…」
 ほぼ同時に呟き、顔を見あわせる。
――まさか、共通の知り合いがいたとは。
 そうして奇妙な時間がわずか流れた後、芹は理解する。
これは夢なのだ、と。
特に理由はないが、ただ実感した。
現実ではないが、実際に起こった事。
いわば夢の中での現実。
 それならば、今すぐにでも。
「…!しまった…!待て!」
 ナズナが叫ぶ中で、芹はただ想軌する。
この夢が終わり、現実へと覚醒する過程を。

 直後、夕暮れの光が増し、森を、公園を、芹を、ナズナを。
まるで焼き払うかのように照らし出し、そしてやがて全てが夕暮れに染まり、それらが全て、全て熱を増すように輝きを帯びて。

 全てが白という白に塗り潰される中、ナズナは…否、ナズナの姿をした者は確信する。
――恐ろしいのは、後ろ盾…本家だけではなかったのだ、と。

 やがて、それらが白く輝き何もかも染まった頃。
音も無く、幻夢の世界は終わりを告げた。




              ――「夢現。夢幻の夕暮れ、夕暮れの幻。」 終 ――

深紅の夢。夢と現の殺戮者。

――真っ赤に染まっていた。

床も、壁も、目の前に転がるそれらも、散らばった硬い白に柔らかな赤も。
黒い筋のようなものに、ぐずりと崩れた乳白色と薄桃色の中間のようなもの。

 そして、それらを眺める、巫名・芹の手も、腕も、頭も、身体全てが。

――真っ赤にそまっていた。

ずぐん、と、臓腑を抉るような恐怖が湧いてくる。
―私がやったのだ、と。

 気がつけばこうなっていた。――本当に?気づかなかった?
 どうしてこんなことになっているのか。――理解するつもりがあるのか?
 誰が、こんなことをしたのか。――考えるまでも無い。ここで生きているのは唯一人なのだから。

 左手に提げた刀は、こびり付いたもので赤黒く染まり、まるでそれらで重量が増したかのような錯覚さえ覚える。
恐ろしい事をしてしまったという実感と、もう一つは…形容しがたい、達成感と快感。

――これは、夢だ。

 背筋から全身に染み渡るような充実した感覚。
熱い息を漏らし、目の前に転がるそれを眺める。

――私が、何故か誰かを殺して…

「…ふふ」
恍惚とした笑みを浮かべ、笑い声が漏れる。

――恐怖と…それと、何かに虜になっている。

 彼女にとって唯一、ちょっとだけ自慢だった蒼い髪も、今は黒く赤く汚れて。
同じように――こちらは唯赤く――汚れた右手を持ち上げる。

――相手は恐らく無力で、知らない人…これまでに何度か見たときには、顔も見えていない人。

 その人差し指を口元に当て、緩く唇をなぞる。
それはまるで、口紅を塗る仕草に似ていた。

――そんな人…人達を、恐らくは私が惨殺する

「……はぁ…」
化粧を知らない彼女の、たった一つのお洒落。

――また…あの夢だ。

 そうして、指を軽く口に咥え、「それ」を舐め取りながら周囲を見回す。

――そう、いつもここで目が覚めて……

「今日は…ちゃんと見ましょうか」
その言葉と同時に…芹を見る芹は。

 見た。
いくつも転がる、それらの姿を。

 見た。
恩師、友人、恩人、親、公園で話した小さな子、近所の気のいいおばあさん、結社の仲間、以前いた寮の

 見てはいけない。
そう思った、その直後。
聞きなれた声が、いくつも、いくつも、心と耳に響いた。

「人殺し」

そして

「さよなら」




  2008年 12月某日 夜  鎌倉の喫茶店


「仮初の夢…か」
 鎌倉市内の小さな喫茶店で、大川はいつものように煙草をふかしながらそう呟いた。
向かいの席には、銀誓館学園高等部の制服を着込んだ、芹と同じくらいの体格の少女が座り、はい、と頷く。
肩のあたりで切りそろえた黒髪が微かに揺れ、少女はコーヒーを一口飲むと口を開く。
「…少し前から、芹の様子が不安定になりだしていまして…恐らくは、過激派の人間の仕業かと思います」
 そう言いながら、微かに目を細める。…まるで、「過激派」に刃を向けるかのように。
「そうか……まあ、やるとしたらヤツらしかいないだろうね。自分らを追い詰めた本家の娘という大義名分もあって、反対意見は押しつぶせるわけだし……まあ、なんだ…ナズナ、ちょっと落ち着きな」
 言いつつ、大川はナズナと呼ばれた少女の肩に手を伸ばす。
「ええ、分かっています。……今だって、冷静にするよう努めているのです」
 大川の手を軽く制し、ナズナは小さくため息を吐く。
胸の中には、許すまじという感情と、事が事ならば連中を手にかける覚悟さえ抱きつつ。
「…いや、あンたがそんな話し方をするってのは、なンか考えている証拠さ。それに…」
 そこで大川は煙草を咥え……口を離し、煙を吐き出す。
「アタシの目は誤魔化せないよ」
 ユルくそう言うと、いつものようににかっと笑ったのだった。

 幾秒かの沈黙の後、ナズナが堪忍したかのように深く息を吐き、口を開いた。
「はぁぁ……やっぱり、大川さんはボクの考えはお見通しですね」
 ナズナは苦笑いしつつそう言うと、コーヒーに口をつける。
その様を、大川はにやにや笑いながら眺めていた。
「当然さ。アタシは、アタシが面倒見た相手の事は大体なんでも分かるつもりだよ。…こうして目の前にいないと、さすがにどうにもできないンだけどねぇ…」
 最初は得意げだったものの、徐々に語勢が弱まっていく。
―やっぱり、無茶してでも芹の近くにいるべきだったか。
そんな思いを巡らせるも、結局はそれもよくなかったのだと結論付けた。
それに。
「……ま、いい機会だね。連中、最近は無関係の人間引っ張り込んでロクでもない事してるっつうし…連れ出された子達も何されてるか分かんなかったしね」
 「過激派」の事を考えつつ、大川は呟く。
そう、今は確かに危機的状況だが…同時に、これまで尻尾を掴めなかった連中を叩き潰すにはもってこいなのだ。
――もっとも、裏を取れれば、だが。
「そうですね、今まではうまい具合に逃げられていましたから。…けど、芹にあんな事をしたのが命取りといった所ですね。…尻尾を出したという面でも、ボクがそれを知ったという意味でも」
 そう言いながらナズナは、軽く目を細める。
そう、ある意味ではこの時の為に…芹が大川と離れてから今まで、芹を監視していたのだから。…監視というより、妹が心配な姉の気分だったが。
「そうだね…思えば、本家にいた頃からあンたはあの子につきっきりだった訳だし、連中も喧嘩を売った相手が悪かったいね」
 にかっと笑いながら、大川は煙草を灰皿に突き立てる。…喫茶店のお洒落で小さな灰皿は、もうそろそろ勘弁して欲しいといった様相を呈していたが。
「全くです。…もっとも、巫名相手に喧嘩を売って無事な団体なんて、そうはいないと思いますけどね」
 ナズナも軽く笑いながら、冗談めかすように言ってみせる。
しかしその目は力強い光を宿し、手には幾枚かの書類を取っていた。

「さて…ここ数週の、例の屋敷周辺の術力場を調査した結果です」
 そう言いながら差し出された書類には、周辺の八百屋の安売り情報が書き連ねられていた。

――勿論擬装である。もし万一盗み見られることがあったとしても、敵(あるいは無関係な誰か)が得る情報は八百屋の安売り情報なのだ。
さらに、喫茶店で堂々とそんな話しをする彼女らは隅の席で、存在感を希薄にする術が施された札を起動して鞄にしまってある。
 これにより、たとえ術士や能力者の類にすらその存在を気取られず、話の内容は頭に残らなくなり、世間話のように暗殺計画を立てることすら出来る。
そして店から退出する際には、鞄の中で札を破り、何食わぬ顔で出て行けば良い。
巫名・芹が下界に出る際に本家で考案された、画期的な情報交換の手段である。

 差し出された書類を受け取り、大川は視線をその表面に滑らせる。
「………なぁるほどねぇ…連中、随分なヘマをやらかしたみたいだねぇ」
 読み取れた情報は、巫名にいくつかある禁呪の一つ――夢に術者のイメージを重ね合わせ、まるでまさにその夢を見ているような錯覚を与えて衰弱、発狂させる想軌術――を過激派が使用している事、それを隠匿する術も施されていること、そして、その隠匿術が何かに「切り裂かれて」力の大半を失い、禁呪の行使が判明した事…つまり、尻尾を掴む手がかりどころか、ほぼ間違いない証拠を手にしたという内容だった。
「…はい。正直ボクとしても不思議です。もし隠匿術が機能していたら手遅れになっていたでしょうし…見破れるとも限らなかったので」
 自分でも不思議なのだ。と、ナズナはそう言いたげな表情で言葉をつないだ。
「ボク以外には、芹には誰もついていないはずですし…いくら愚かとはいえ、過激派の連中がそんな些細な失敗を犯すとも考え難いですが…」
 ナズナは皆目見当もつかない様子で考え込みはじめる。
が、大川は既に、その答えに至っているようだった。
「いや…多分、アレだ」
 新たな煙草に口をつけつつ、ライターをカチカチやりながら大川は呟いた。
「アレ…って、何です?」
 ナズナは勤めて静かに。
だが気になって仕方ないという様子で、大川に顔を向けた。
その視線を受けつつ、大川はふっと煙を吐き出し、ナズナと視線を合わせて言う。
「ほら、あの子ンとこに何本か武器が送られてるだろ?多分それさ」
 ナズナはその言葉を受け、考えを巡らせる。
今使われているのは”蒼冷旋律”…確かに強力な武器だが、そこまでの力は無かったはずである。
他にあるとすれば――
「……巫月蒼露ですか…しかし、あれは…」
 その名は、ナズナも知っていた。
だが同時に、意外な答えでもあった。

 巫月蒼露。
詠唱兵器となる前は強力にして凶悪な術力を持ち、詠唱兵器として運用される際にその力の大部分を削ぎ落とされた霊刀。
 だが、いかに力ある魔術武器とはいえ、今の巫月蒼露にそこまでの事が為せるとは思えない。
確かに、力ある物はただあるだけでもそこにある結界や怪異を払うことはあるが…
「……実際のところ、成長すれば扱えるようにはなっていたみたいだよ」
 大川は少し呆れたように言いながら、煙草の灰を落とす。
「…つまり、封じられてはいても、以前の巫月蒼露としての力は残っていた、と…?」
 信じられない、といった様子でナズナが大川の顔を見ながら訊ねる。
…もし何かあったらどうするつもりだったのか、と。
「そうだろうね……って、そう焦るなって。…理由はともかく、そのお陰で芹を救えるンだ。こっちとしては万々歳だよ。……違うかい?」
 諭すように、しかし最後にはにかっと笑って、大川はナズナに問い返した。
「もっとも…今回の件で半ば無理やり力が発揮されたんだ。…恐らく、巫月蒼露は二度とそんな事を起こせないだろうね」
 言い切り、大川は煙草を咥えた。
ナズナは暫く何事か考えた後…口を開く。
「………そうですね。確かに、その通りです。…最初にして、恐らく最後のチャンス…これを逃せば機を逸してしまうという事を考えれば、理由を考えている時間は無いですね」
 そう言うと、ナズナは目を閉じ、軽く深呼吸をする。
…再び目を開いたとき、もう迷いは無かった。
「ともかく、源呪を調査して連中の本拠を割り出してみます。…この資料があれば、本家も協力してくれそうですし」
 これを逃せば後は無く、そして……巫名・芹という人物は恐らく失われる。
命ではない。廃人か、殺戮者か、常軌を逸した精神状態と、それから来る素質をも含めた魔力の暴走。
いずれにしろ、手にかけなければならなくなる。…それだけはなんとしても防ぎたかった。
「あぁ、頼んだよ。…何、本家が何もしないなら、アタシと睦月で殴りこんででも協力させるさ」
 冗談めかしてはいたが、大川の目は本気だった。マジ。ことによっては過激派より面倒かもしれない程の。
「…ボクから頼んでおきますね。接敵前に疲弊しては意味が無いですし」
 苦笑しつつ、ナズナは書類を仕舞い込んでいく。
「ああ、なるべく早めにね。…個人的な事を言えば、殴りたい相手も居るンだけど、さ」
 そんな不穏な事を言いつつ、大川は灰皿に煙草を突き刺し、席を立つ。
その際に、鞄の中に手を突っ込み、中の札に親指で穴を開け引き裂く。
これで、彼女らは何の変哲も無い客に戻るのだ。
「…それでは、ボクはこれで。…急ぐので、お代はここに置いておきますね」
 ナズナはそう言いながら、財布から百円玉数枚を取り出し、伝票の上に乗せて席を立つ。
「あいよ。……最近物騒だから、気をつけてね」
 大川のその言葉に、ナズナは唯手を軽く振って答え…店から出て行った。
その背中を見送り、大川はぽつりと呟く。
「さて…命知らずの阿呆どもにお灸をすえる準備でもしておくかね」
 それを聞いたものは誰も居ない。
それは、大川なりの決意。

――許すわけにはいかない。と

 そんな思いを胸に、大川は会計を済ませようとして、気づく。
「……二つは五十円玉じゃんか…」
 微妙に肩を落としつつ支払いを済ませ、大川もまた、店を出た。
…その足は、巫名の本家へ向かい、力強く、しかしどこか気だるそうに。
「久しぶりだねぇ、あそこに行くのも…」
 ぽつりと呟き、鎌倉駅へと向かっていった。





――目覚め。
―目が覚めた。
朝が、来た。

「…………」
 芹は布団から身を起こし、暫くぼんやりとしていた。
夢を見たのは覚えている。
しかしその内容はというと………霞がかったようになり、思い出せない。

――確か、そう。

「……っ!」
 咄嗟に思い出してはいけない、と感じ、思考を中断する。
気づけば、冬も只中だというのに寝汗で身体がじっとりと濡れていた。
「…嫌な、夢ですね…」
 そう呟く芹はどこか、生気が幾分失われているような感覚すら覚えていた。
まるで夢の中で何かを奪われたかのような感覚。
ナイトメアに憑かれるとこんな感じなのかな、と思いつつ、芹は今日一日の支度を始める。
「冬休みとはいえ…勉強も鍛錬も、怠ってはいけませんから、ね」
――そういえば、テストはあまり点数が芳しくなかったな。
そんな事を思う芹は、まだ気づいていなかった。

 巫月蒼露が常に発していた微かな光。
それが、失われている事に。
まだ、気づいていなかった。
夢が…迫っていることに。




                                   「深紅の夢。夢と現の殺戮者。」―――終。


 はい、どうもこんばんは。
更新滞りまくっております…背後です…!(滝汗
 今回はかなりスプラッタな表現が冒頭に出てきています。
倒れている人々は……えぇと、気分を害されたならご一報下さい(汗
ただ、その夢の元凶がどれだけ嫌なヤツなのかを表現する…あ!あ!物投げないで下さい!ごめんなさい!二度といたしません!(土下座)

 ま、まぁ引きからして当然ながら、このお話しは続編物です。
ペースはまちまちでも、必ず完結させますので、乞うご期待……あ、いえ、乞いません。期待しないで下さい…!(土下座)

 さて、今回はこの辺りで失礼します。
それでは皆様、御機嫌よう。


 というか、冒頭のアレで見限られたら本当にどうしようorz(ならやるな)
冗談抜きで、不快に思った方は連絡下さい。明言してなくても、嫌なものは嫌でしょうし…

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